人は環境の動物と言われるように、生まれて育った時代で価値観が出来上がっていくように思う。
60歳後半になった私は、父が志願して戦争に行き、太ももに三発の銃弾を受けて帰国したことを知っている。そして、痛々しい傷跡も見ている。父は一切、私に戦争の話をしなかった。想像するに、人を殺した。そして、殺されたという地獄を体験したからだと思う。その父は帰国後警察官になり、55歳で定年退職。ものすごく厳しかった。学歴があったわけではない。今でいえば中学を出て、すぐ戦地に行った世代だ。我々60歳代が育った戦後は、どん底から這い上がった父世代の存在、その後姿を見て生きてきたように思う。今、国のリーダー達、特に政治家は、私達より若い世代。しかも戦争を知らない。家族、父、祖父も政治家の家柄で、戦地に行ったのかどうか、おそらく恵まれた環境で育った方々が多いのではないだろうか。
一方、今の生活者はあまりにも恵まれ過ぎて、便利で簡単、安さを求め、早さを求め、それが当たり前になり、少しでも自分の意に反すればストレスを感じ、すぐにクレーム。忍耐や我慢なんてあり得ない。メールでのやり取りが当たり前になり、一方通行で伝えたつもりになっている。その便利さのおかげで、電話対応が苦手、ましてや世代の超えた人との対話なんて、何を話していいのかわからない。顔を見て話もできなくなっている。こうした症状は時代の流れの中で起こっている。人の話をちゃんと聞けない。
私も若い時、ジジィの話を聞く耳を持たなかった。でも、歴史は繰り返されると言われるように、戦後70年平和が続き、平和ボケになっているかもしれない。
今、頭の上をミサイルが飛んでいく。働き方がどうのこうのという前に、もっと大事なものを自分が守る。俺の家族は俺が守るとか、俺の会社は俺が守るとか、この国は俺が守るとか、矢面に立つというような意識、これを育てることはできないのか。自分のスキルアップとか言いながら、転職を繰り返す生き方、見つめ直すことだと思う。人生は限られた時間、たった一回しかない。あっという間に終わる。
年を取るとわかってくる。それが『敬老の日』、残された時間はもうわずか。
ジジィ、ババァ、第4コーナーを回ったかもしれない。