城丸正ブログ

誰が語るか、が大事

2022.01.09

何を語るかではなく、誰が語るかが大切だと言われている。同じ内容でも人によって伝わり方が違う。その理由は、その人の経験や体験の多さと積み上げてきた時間が「話す」というより「語る」という感じになっていくからだ。特に、苦しんだ事や失敗が多ければ多いほどその人にしか語れないことがある。そして「自分の言葉」で話せるようになる。

だいぶ昔の話になるが、高校時代からの友人である自動車板金屋の社長が息子の結婚式で父親として式の最後に行った挨拶が強く胸を打った。マイクを握り、まっすぐに前を向き、メモ紙など見ずに、ゆっくりと言葉を選び、間を取りながら話し始めた。失礼な言い方だが、あの板金屋のおやじがこんなにも人の心に響く話をするなんてと思い、これがきっかけで全てをまねようと意識し、その後人前で話す時の基本となった。彼の存在と語りはずーっと大切な事になっている。

おそらく誰もがそんな場面に「でくわす」ことは何度もある。人が人から受ける影響は計り知れない。スマホのメールでは伝わらない大切なことがある。生身の人間からが一番だと確信している。

「自分の言葉」などと少し恥ずかしさもあるが、「ひろう・もらう・かりる」から始まって「まち・みせ・ひと」や「今あるものに目を向けて手を入れる」や「誰に、何を、どのように」とか、何度も何度もくどいくらい話すことがある。すべてが体験や失敗という経験から生まれた。自分と働く仲間へのメッセージでもある。そして、「S.H.S」も「SWEET・HOME・STORE」という3つの頭文字。3つというのは大切なキーワードです。全ては人と人との出会いから生まれたし、スタートが昭和だったこともある。そして平成、そして今、便利で簡単そして早いが当たり前だけど、なんか大切なものを忘れている気もする。

今日、大工の土田君から誕生日プレゼントで、「北の国から」黒板五郎の言葉という本をもらった。読み始めたらなんだか被ってきて涙が出てきた。やっぱ、誰が語るかが大切だ。