城丸正ブログ

職人を目指すことでSDGsになる

2023.03.23

いい加減、SDGs、持続可能という空気言葉を使うのをやめにしないか。

職人になるという決断をした人の話をしよう。

「環境破壊の進行や、経済合理性と生産性の欠如を理由とした田舎の切り捨てなど、どう見ても効率だけが最優先されていく資本主義という流れの中で、豊かさは「無駄」の中にこそあるのではなかろうか。無駄なことを何度も繰り返すからこそ、今を支える大切な経験を積むことになる。それと、若い頃に様々な肉体労働を経験したからこそ、頭で考えるよりも先に身体が動く。これが強みになる。経済合理性の下では無駄と言われるものが、自然の中では価値あるものとみなされることもある。だからこそ、都会では味わうことのできない様々なことが、自然が多い田舎には存在する。」と。

今日も社長と男性社員がお客さまの庭の木の枝を切りに行っている。小売りという商売と全く関係のないような仕事でも頼まれればやれることはやってみようと動いてみる。失敗するかもしれないが、やってみなければ分からない。だって、商売のスタートが「ひろう・もらう・かりる」だから、仕事の「カタチ」は決まっていない。できそうだと思ったらやってみる。喜んでもらえたらラッキーだ。そして、「ありがとう、また店に行くね」と言われる。これが、我々の理想とする「仕事のカタチ」だと思っている。

究極は職人になる、あるいは職人を目指して努力するのも生き方だ。死ぬまで食べていける。

時間をかけて技術を身に付け、今は誰もが避けるような不人気な世界こそが、SDGsの次に来るのではないかと思っている。今ってこれが流行っているからこうだよね、みたいな考え方の人間は淘汰される。極端な考えではあるが、日本では東大、京大、ハーバード以外は肉体労働のほうがありかもしれない。だって、それ以外のなんちゃって大学出ても頭でそのような人たちには敵わないんだから。

だったら職人になるという手もある。接客販売も技術職であり、人間観察職という職人でなければ通用しなくなっている。

WBCで20代前半の若者がメジャーリーグのアメリカチームを打ち負かした。彼等だって子供の時から10年以上技術を磨いて今に至っている職人だと思う。誰もが真似できない領域を目指すのもこれからだ。