この2つは切っても切れない関係だと思う。
しかも人に対してが多い。
誰もが経験することではないか。
あと、何かに向かってスタートするときは必ず『希望』が存在する。
仕事・商売・人を好きになることは希望があるから行動を起こす。
自分も商売を始めたとき、希望しかなかった。
金も信用も何もない、希望があるからスタートした。
しかし、辛いことの連続、みんな経験すること、この『辛い』ことが多かったからこそ、ちょっとでもうまくいったとき、嬉しくて嬉しくて幸せに思った。
『辛い』と『幸せ』という字はすごく似ている。
勝手に思い込んでいることは、辛いことや絶望ということを多く経験しないと小さな喜びが『ありがたい』とか『幸せ』だと感じない。
自分は商売をやって気付いた。
商売を始めて5年くらい経った頃、あるベッドメーカーへの支払いが月末にできなくて一週間支払いを待ってもらえないかと電話したら、担当の営業マンが本当に同じ人間かと思うほど豹変した。
甘く考えていた自分の頭は簡単にぶっ飛んだ。そのことはずーっと深く心に刻み込まれている。
約束までに支払うという当たり前ができない自分に、希望など存在しまいと強く思った。
自分は絶望や希望の前に、当たり前のことをバカになってちゃんとやる、そして1つ1つ積み上げてやっと信用してもらい、やっとそこで希望につながる。
人に対して絶望を与えてしまうことも多かった。
あるいは絶望することも多かった。
改めて振り返ると、絶望することが多ければ多いほど、希望が見えてくるのかもしれない。
希望の大きさは絶望の大きさに比例すると何かの本に書いてあって『ほっ』とした。
『辛い』と『幸せ』は表と裏なのかもな。
諦めたら終わる。