城丸正ブログ

殺処分ゼロの裏で何が起こっている

2018.07.20

8年前、一番下の息子が東京の大学に入学したため、夫婦二人になって急に心にポッカリと穴が開いてしまった。

そうだ、犬を飼ってみよう。

それまで犬に全く関心などなかった。私が中学・高校の時、親が野良犬を拾って育てたことがあったくらいで、そんなに可愛いと思ったこともなかった。

逆にいじめる対象として、そばにいたようにも思う。

そんな私が犬を飼い始めた。ホームセンターに行ったら、黒いフレンチブルドックがあお向けに眠っていた。生まれて半年くらいだった、オスだった、私に全く興味を示さない、おとなしい犬ですぐ決めた。

その当時、色々なイヌが同じくらいの値段で売られていた。特別フレンチブルだけが高いという感じではなかったが、今は当時の3倍から5倍の値段がしている。異常だと思う。

そもそも、犬を買うという行為になんとなく割り切れない思いがあったのも事実だ。命を買う、みたいな後ろめたさ。

だが飼ってみて、人間の子供ほど面倒ではないが、相手は生き物であり、情がわいてきます。犬の8歳といえば、人間に例えたら40~50歳。いいおやじですが、私や家内にとってはかわいい男の子です。

今日の日経新聞に、犬猫の殺処分ゼロの裏で悲鳴が、という記事。便利で簡単、早くて、安いが当たり前の世の中で、人間ももちろん、生き物を育てるということは、手間・ひま・お金がかかる、それ以上に愛情が大切。あまりにも、こんなはずじゃなかった、もういや、という無責任飼い主が多いのが現実、こうした飼い主こそゼロにしないと、という内容だった。

一時のペットブームは終わったのかもしれないが、ペットショップの犬と猫の展示ブースにはいつも沢山の人が集まっている。”かわいい”だけでは無理だと思う。毎日散歩、病気にもなる、言うことを聞かない。そんなことは当たり前。

何事にも共通している、良いと思って仕事を選んだ、この人だったらと付き合ってみた、かわいいと思って飼ってみた、全部あなたの愛情の深さを試されている。

私達は生まれて生きてきた時間の中で、その人の考え方や、受け止め方が出来上がってきている。何度も書いているけど、失敗した数や量がその人をつくり上げている。

世の中に簡単なものなど一つもないのかもしれない。時間がかかる、時間をかけてみよう、ゆっくりと、はやく、家でフレンチブルのポーが待っている。