1970年代が青春時代だった我々世代は、アメリカに対しある種の『あこがれ』を持っている人が多いと思う。
ファッション・音楽・映画・車、車は『アメ車』とか言っていつかきっと乗ってやるみたいな夢を抱いていた。
それと、自由とか民主主義とかサクセスストーリーなんてことも『いいなぁ』と、戦争で痛い目に遭わされた相手にもかかわらず不思議なことだ。
よくアメリカ人が使う『正義』という言葉にも心が動いた。
しかし、今の大統領選挙のニュースを見ていると、色々な思いが壊れていく。そして、『あこがれ』や『目標』とする対象はそこにはもうない。『力』が『正義』・『勝つこと』が『正義』としか映らない。
戯曲家の寺山修司が、『勝者には何もやるな、彼には賞賛と栄光がある。敗者にこそ拍手が必要なのだ』。さらに、大切なことは勝つか負けるかよりも皆が一つになることを大切にする。これは日本の美学だと書いている。
何を『大切』にするか、何に『あこがれる』かは自由だ。しかし、年と共に様々なことが吹っ切れていくのも感じる。
新型コロナウイルスによって、日常に対し色々な事が突き付けられている。
我々みたいな小さい組織は、業界と言われる中では少数派だと思っている。その反対に多数派と言われる大きな組織がある。その大きな組織を、さらに大きな組織が飲み込んでしまう。例えば、ヤマダ電機が大塚家具をとか、島忠をニトリが、あるいはもっと大きなホームセンターとか、そしてさらに大きくなることで強くなっていくというシナリオなんだろう。
まさに自由主義・資本主義・アメリカンドリームなのか。欲望は無限大、大きくなることで強くなる、まさにその通り。それができるのは1つか2つ、あるいはアメリカのGAFAのような存在になることで強くなると同時に、世の中を牛耳ることができる。
バランスなんてあったもんじゃない、むかしむかし、学校の授業で少数派を尊重する多数派が存在することが本当の豊かさに繋がるとかどうとか教わった気がするが、現実は多数派に乗ってしまえば安全と考えることが普通になっている。そして、数の力で少数派をいじめてしまう。すると何かの拍子で立場が逆転すると、今まで少数派だった人が倍返しどころではなく、1000倍返しをしてくる。
政治の世界でも多数派に鞍替えする人を多く見てきたし、それが社会なんだろう。
つくづく正解がないということは確かなことだ。