3月5日、新潟日報の『転期』という記事に、S.H.Sを取り上げていただいたこともあり、この3連休は多数のお客様に来店いただきました。
時代がインスタグラムやSNSが主流だと言われても、新聞の記事はまだまだ大切な伝達方法です。
お金を払って広告を載せるよりも、記事として取り上げられるのは全く意味も違うし、読む側の見方も違う。マスコミに取り上げてもらうことは特別なことだと思っています。
『読んだよ』『久しぶりに来てみたよ』『だいぶ変わったね』『よく続けて来たね』『まだ現役なの?』『若手も育ったね』『今いくつ?』などなど。
懐かしいお客様との会話と、続けるということの意味。
様々な思いを感じました。
あっという間に時間は過ぎていきます。継続することの難しさを感じるとともに、今回のコロナウイルスは想像をはるかに超えた被害。でも、よくよく考えてみると、その原因は人間がつくっているのではないか。
経済成長という拡大思考で地球の環境はおかしくなり、自然破壊が進んでバランスが崩れた結果かもしれない。
もう一つ、3月は今から9年前の2011年3月、東日本大震災で多くの人が亡くなった。放射能の汚染で家に帰れない人も大勢いるというニュース、今年の3月のコロナウイルスのニュース、何となく忘れかけていたことに、もう一度さらなる困難な状況を与えられている気がする。
もっと便利に快適に豊かに幸せに生活するために良かれと思ってつくった原発が裏目に出てしまった。地球上で同じようなことが経済成長の名の元でやられているとすれば、今回のコロナウイルスの蔓延は何かに気付く必要があることを示唆しているのだろか。
原発の事故の後始末と再生と復興を後回しにして、東京オリンピックを優先してしまったことに対する天の声か、それとも・・・。
俺が決めたことじゃないし、お上が決めたことに、はい、わかりましたと言って生きている年寄りの一人だということ。