変わりゆく渋谷の10年、都会であろうが地方であろうが努力次第で変わる。
「振り返れば、2000年の渋谷マークシティ開業に端を発した渋谷駅の再開発は、20年以上の歳月を経て全貌が見えつつある。宮益坂上からヒカリエを通り、将来的には銀座線の上のデッキを経由して渋谷マークシティを抜け、道玄坂上に至る歩行者の大動脈が誕生する。これにより、駅をまたぐ東西の人の流れが今以上に増えるのは間違いない。」こんな記事があった。
学生の頃は渋谷より新宿が好きだった。「田舎もん」の自分には、どうしても渋谷はおしゃれすぎて行けなかった。今はそんなことはないだろう。
ただ、都会は常に今ある物に目を向けて、もっとこうだったら、ああだったらと知恵を使って街を変え、少しでも魅力的な新しい環境をつくろうとする。
しかし、地方は逆で、今あるものよりも新たな街を別な所につくろうとする。中心部よりも郊外、しかも田んぼを埋めて宅地にして開発を広げて拡大していく。
その結果、どこへ行っても似たような商業施設やチェーン店、そして新築住宅、それから最近は「道の駅」の多いこと。当然、街の中心部の商店には人が行かなくなる。百貨店もなくなった。
だけど、意外と中心部にはマンションがどんどん建っていく。あえて「どんどん」を使うか?
もう一つ、どんどん人口が減っていくのに世帯数を増やすのには、何となく下心があるように思う。その下心は、固定資産税という税を取っていかないと税収が減っていくという厳しい現実が目の前にあるからなのか。勝手なジジィの妄想かもな。
なんでこんな風に流れを見るかというと、スタートがリサイクルショップというのもある。人の使った物を、もう一度きれいにして欲しい人に売る。安くて新しいモノが市場に出ているのになんで、と言われた。いちいち理由を言っても理解できる訳がない。人は流れに乗る動物でその方がラクだからだ。世の中を斜めに見る人間は、常に自分だったらこうしようと考えて動くから、それでいいと思っている。20年以上かけて鳥屋野店を作りつづけ、この間にまわりには住宅が増えた。まわりの道路の交通量も増えた。土地の値段が一坪4倍にもなった。
住みたい場所のベスト5ぐらいになったのかも知れない。あの頃、古い倉庫を店にすると言ったら、あんな場所と言われたところですよ。ある意味、異状です。
長岡の高畑の店も同じです。新しく建てたわけではなく、古い割烹旅館を再生して、今の時代にふさわしい施設にしただけなのに。
でも、それが大事なんです。今さらサスティナブルとかどうでもいい。
その街には、そこにしかない価値があり、その場所には歴史がある。それを受け継いで新たな価値をつくり、喜んでもらうことがSHSの仕事。その土地の価値が上がったとか下がったとか、目先の損得ではなく、新しい価値を古い街に手を入れて作ることで、街の動線ができるはずだ。