新潟日報の『現論』広井良典さんの記述を読んで、自分達がやってきたこと、これからやりたいことがまんざらでもないと思った。
その内容は、今、『商店街の空洞化』と『耕作放棄地』という二つのことは共通の背景がある。
一つは人口減少、これが大きい。それと、昔は子供が親の事業を引き継ぐ、あるいは土地を引き継ぐということが当たり前だったが、時代とともに核家族化が進み、引継ぎが思うようにいかず、そのまま放置されてしまう。
形は異なっているが、商店街のシャッター通り問題も農業における耕作放棄地も共通の背景から生じている。
自分は商店街で17年くらい『商い』をやったが、限界を感じ郊外へ逃げた。
そして、古い倉庫・古い旅館を直し、10年・20年やり続けて気付いたことがある。
それは、広井さんも言っている『エリア・リノベーション』ということだ。
要は、地域全体をデザインするような『面』的な視点に立ってイメージしていく。簡単ではないが、10年・20年・30年と時間とお金をかけてやるという覚悟もいる。
新潟という水の町である鳥屋野店と、歴史の町である長岡店では同じことは通用しない。
鳥屋野潟という地域にあった『リノベ』でなければならない。長岡店の周りは廃業した旅館や、空家・古家が点在している場所だからこそ、『エリア・リノベーション』というやり方は『個』である家のリノベーションだけでなく、寂れてしまった地域を再生することも大切になったのではないか。
『田んぼ』を埋めて開発行為があっちこっちで行われ、宅地や商業施設がどんどん拡大していく。目に見える明るい未来をつくるかのような錯覚をしてしまいがちだが、そのために中心商店街はシャッター通りになる。
そして、その新しくできた町も30年後には同じくエリア・リノベーションをしなければならない。
人口が減っていくのに世帯数を増やすことで、新たな『附』を払うことになる。
だったら、今ある物に目を向けて、手を入れることで同じ繰り返しをしなくていいのではないか。
本当の持続可能性はもっともっとの開発ではないと思う。
所有者不明の土地が全国で410万ヘクタール、九州の面積を上回る規模になっている。
今までの当たり前は、あるいは常識が通用しない。
自分達は何でこんなに良い場所なのにこんな風になっているんだろう。だったら、ここに手を入れて人に来てもらう、時間を過ごしてもらう、ついつい買い物をしたくなる気分になってもらう、こんな場所に住みたいと思ってもらう仕事をしたい。