今月、26年ぶりに帰ってきた男性がいる。
出会ったのは古町店時代、自分が40代、彼は20代ぐらいで、その3年後、23歳の彼は泣きながら「やめます」と言って去っていった。
相当厳しかったんだろう。自分も鬼だった。
彼は、この26年で2人の子供の父親になって、様々な経験をしてきたと思う。その割には、当時の雰囲気を未だに持っていた。
だが、大きな違いは、職人という技術を身に付けて戻ってきたことである。それは、造作家具・建具という職人技術である。周りからの信頼が半端ではなかった。それには驚いた。失礼しました。思わず、心の中で叫んだ。
前の会社を退職するにあたって迷惑と、惜しまれながら申し訳ない気持ちと複雑な思いもあっただろう。でも、もう一度我々の仲間になってくれた。
人が決断する時には、どうしても捨てなければならないこともあるし、不義理なことや、傷を与えることもある。だからこそ、新たな道を選んだ時は、今まで以上に覚悟が必要だと思う。
俺も、どれだけの人を傷つけて来たか分からない。だったらどうする、というのが生きていくことなんだろう。
10年以上前、『建てない大工』の土田君が「俺にやれることないですか」と訪ねてきたとき、ちょっと変な奴だなぁと思ったが、とりあえず、店の内装とか直しをやってもらおうと、仲間になってもらった。その時、「なんとなく」、これからは商品を売るだけでなく、その商品のとり巻きを変えていかないとダメだと思っていた。この「なんとなく」を見えるかたちにすることで、他とは違う表現ができるのではないか。
まずは、「家具屋にとどまらない家具屋」という考え方で、店の数を増やすのではなく、店を作る「場所」が大切なんじゃないかと思った。店の立地を考えるとき、自分たちが商売をやろうとする町は一言で言ったらどんな町というところが大事なんだろう。そこすら眼中になかった。町も知らず、何ができるのか。新潟は水の町、そして港町、だったらもう一度捜そう。
その結果たどり着いたのが、鳥屋野潟の倉庫。3回目の移転でようやく見つけた場所である長岡は歴史の町、そして城下町。4回目の移転でようやく、廃業した割烹旅館にたどり着いた。
両方とも、「あんな場所」と言われた。
そして、もう一つ大事なのが、時間の過ごし方だと思う。「場所」と「時間」ものすごいスピードで変化していく時代だからこそ、あえて「まち、みせ、ひと」を意識し、「時と場の提案者になろう」と決めた。そのために、「ひろう」「もらう」「かりる」、一人ではできないことは人の力を借りて、じっくりと「街」をつくることが必要になる。
販売だけでなく、大工の土田君、建具職人の地濃君が仲間になったことは、新たな挑戦になっていくのだろう。
「まち」に対し、「みせ」に対し、「ひと」に対し、最後は「そこに愛はあるんか」なんじゃないのか。