古町で店を続けてきて、もうだめだと思ったのは駐車違反を取り締まるミニパトのお姉さんが2時間おきにチョークでタイヤとアスファルトに線を引きにくる。そして駐車違反を捕まえる。当然、『いい加減にしろ』なんて言ってぶつかった。
当時は必死だった。何で商売の邪魔するんだと吠えまくって捕まったこともあった。
門前町にもかかわらず、どんどん人が来なくなった。
よく店の魅力があれば何とかなるなんて言っているが、あっという間に普通になり、飽きられる。嫌というほど思い知らされた。
あの頃も個性的な店が集まり始めたとか言って、新聞やマスコミ等々、取材されはしたが時代の空気が変わったと思い始めた。
ただ、県民会館で色々な催事があったので、歌手・役者、様々な有名人が来店した。
面白かった思い出は、福岡から来た『オカマ』のお姉さんたち、最高だった。
彼女らの根底にあるのは義理と人情、なぜなら世話になった先輩の『オカマ』が新潟にいる、だから定期的に来るのよね~なんて、2度ほど店に寄ってくれたが、話しをするだけで買い物はしなかった。
それなりに苦しさと面白さと希望と挫折を繰り返しながら、時代や風が変わり、郊外に巨大なショッピングモールが次から次へと開業した。
さらにシャッター通り化していくようになった。
郊外に商業モールという開発許可を出しながら、街の中心にも賑わいをという。そのために古町商店街に店を出す人に補助を出すのは構わないが、人口が減っていくのに、あっちもこっちもなんとかしなければならないというのはもう無理。
自分は古町を捨てた。
五十嵐の店から古町に店を出したように、特に小さい者はあっちもこっちもは無理。
そして鳥屋野に移った。
1つに決めて、後は捨てる。
あの頃、50歳だった。
気が付いたら20年、あっという間。
この鳥屋野は今、住みたい場所の上位にきてるみたいです。
自然の環境を味方につけて、暮らしの提案をするという考えは間違ってはいなかったと思っています。
長岡店も高畑の森の中にあります。
田舎は田舎の流儀があると確信しています。
商店街もショッピングモールもそれなりの役割がある。
ただ、自分が辿り着いたのは、自然の中で商売をしたい、わざわざ来てもらいたい、不便な場所かもしれないが来てみて良かったと思ってもらう努力をし続けたい。