店を色々移転しました。
最終的に新潟は鳥屋野潟で20年、長岡は高畑で10年続けています。
自然を味方に店を運営する、簡単ではない。どちらも古い建物ですから、修理しながらの営業です。ですから、気が付いたことが沢山あります。
人っ子一人通らない場所に店をつくり、段々と人の動きが生まれ、店の周りに家が建ち、レストランや雑貨や、そして大きな病院ができたりしてきました。ただほとんどがそんなに大きくない店であるし、地元の人が営む店、ようするに『私店』であり、『私点』。ただ小さい店だからこそセンスを活かし、時間とともに地域に溶け込んでいく。
それでいい、商売をするのに立地が良いというのとちょっと違う、何となくその場所に合ったスタイルができていくような感覚。人間にとってここは気持ちがいい、住んでみたい、仕事場がここだったら、とか、そんな理由でその場所を選ぶことは大切になってきたのではないだろうか。
人間が店でも、仕事でも、スタートを決断する時、多少『こだわり』を持っているだろう。しかしその『こだわり』が自己満足になっていることが多い、私はそうだった。そしてやり続けると、『点』と『点』を結んでつながりたい、あるいはつながったように思いたい。だが『点』を維持するのは孤独だし、不安がいっぱい。後で気付いたのは、この『点』の時代は孤独に耐えられるかどうかを試される時期だったということ。それと何か一つのことを深く掘り下げたり、継続し続けていくと『出会い』がある。そこからようやく『点』と『点』がつながって線になる。この時私は勝手に点から線になったと思い込んでしまった。現実はそうは簡単にはいかない。言葉では簡単に『点』から『線』、『線』から『面』とか言うけど、気の遠くなるような時間と我慢とあきらめない気持ちが絶対に必要になると気づく。思うようにはいかない、『モノ』から『コト』も一緒、こんな話を昨日長岡でLISの3人の若い経営者とミーティングの時にしていた。彼等は若い、私の歳になるまで30年近くある。どんなに時間がかかっても商売の結果が、あるいは商いを通じて『面』をつくらなかったら意味がない。
『面』は住みたい場所として最高、年寄りから子供まで安心して暮らせる場所は大きい商業モールがあればいいだけではないことを証明することが本来のローカルの魅力でもある。
ヒューマンサイズ、小商い、均衡、等々、テーマはまだまだあると思う。
物は揃ってしまった、次は何『コト』か?