城丸正ブログ

『あおり』から『逆走』へ

2021.12.07

様々なことが進み過ぎて、人が置き去りになっているように思うことがある。

例えば、ガソリン車から電気自動車に変わる。これは今の流れからSDGsだという反面、じゃあガソリンエンジンの開発を何十年も手掛けてきた人は、『はい、ご苦労さん』なのか。

あるいは、もっともっとデジタル化しなければならないと進めれば、働くことに変化が迫る。従来の仕事がなくなり、培ってきた能力や知識は無用になり、我々は生き残るために無くなる仕事から新たに必要とされる仕事への移動を進めなければならないのか。

なんとなく、あらゆる場面で得体の知れない何かにあおられている気がする。

その何かは『時代』なのか『人』なのか。

人は本来、不器用な動物だと自分は思っている。そうじゃないという人もいるだろうが、簡単に新たな仕事への移動ができないものだと。

ところが、便利な道具がどんどん開発されなんでも知ることができるし、誰とでもすぐ接点が持てるし、知識があるから何となくやれると思うかもしれないと錯覚してしまっている人もいるだろう。

ただ、流れは流れとして受け入れながら逆走する生き方もある。

例えば、ガソリン車はゼロにはならない。生き延びる可能性はある。大手メーカーではなく、モーターではなく、エンジンにこだわり、音にこだわり、懐かしさや希少価値を大切にするブランドで『しぶとく』存在し続ける。それを支えるのは『人』だ。

進み過ぎる流れとは違う生き方で、今あるものを見つめ、手を入れながら守るべきものに対し自分は何ができるかを追求する生き方や仕事があってもいいはず。

これはまさに『あおり』に対し、『逆走』というやり方。

どちらも道路交通法では違反行為だろうが、頭の中にある考え方はどちらも存在する。

中島みゆきの歌に『時代』という曲がある。思い出すと高度成長期には『24時間戦いますか』が流行し、それに疲れてきたら『5時から男』が歌になり、5時になったら仕事はやめて遊ぶ、酒を飲む、もう嫌だ、あっという間にバブルがはじけ、今度は『休め、休め』もっと休んで効率を上げろ。そのためにはデジタルだ、ITだ、ロボットだと。

経済成長しない時代はどうやったらいいか本当はよくわからない。

そんなときは自分のできることをすればいい。

『時代』という歌、聞くと昔も今もそんなに変わらない。

なるようにしかならないけど、今あるものに目を向けて、手を入れる。これしかできなくてもいいでしょう。