「人が使い古した物、飽きた物をもう一度きれいにして値段を付けて売る」
40年以上前、商売としてスタートしたことだ。骨董の市にも行ってみた。だが、なんかピンとこなかった。
我々の世代はどうしてもアメリカにあこがれを持っている人が多い。自分もその一人で、同じ古いモノだったらアメリカの古い物を「商い」にできないかと考えた。
現実的に、アメリカまで行って買い付ける「金」はない。ではどうしよう。米軍基地を回って払い下げを買い付けようと動き始めた。東京、神奈川、三沢、岩国とトラックで行ける基地、そこで出会った人や体感は大きかった。
だが、新潟という地方の町で米軍の払い下げの家具や道具をおもしろいと思って買ってくださる方は少なく、すぐに思うように行かなくなった。そこからイギリスのアンティーク、北欧スタイル、パイン材の家具のカントリースタイルと、それこそ節操なく変化していった。
ところが、扱う家具が変わると「私辞めます」というスタッフがいた。「えっ」と思うわけです。俺と一緒に仕事がしたいわけではなく、扱っている商品(モノ)に興味があったり好きということで働きたいということなのか。思わず、「なんだ、結局モノかよ」と何度も「バカヤロー」と叫んだ。おそらく、節操のないオヤジぐらいに思ったのかも知れない。
今はそれぞれに特化したこだわりの商品を揃え、それなりの世界観を打ち出している方がいる。それはそれで素晴らしいと思う。自分は本当はモノに対する執着はない人間なんだろう。
じゃあ何が大切かって考えるようになった。まずは日本人だということ、新潟と長岡で店をやっていること、だったらもう一度メイドインジャパンて大切なんじゃないのかよと。さらに、店で働いている人も日本人、その人に家族がいて、さらに店を利用してくれるお客さまがいる。こだわらないことは大切だが、それ以上に選ばれる店になるために何をしなければならないか。節操なくこのことを追い求めることもありだ。
思い出すと、小さな店の時、合言葉のように「こだわりの、、、」を連呼していたような気がする。それしか生きる道がなかった。お客もいない、金もない、何にもない、それを経験したからこそ、色々考えながら苦しみながら、気が付くともう10年が、いやもう40年以上たったな。スタッフも37人、これからも節操なく挑戦し続けるぞ。