城丸正ブログ

「教える」と「教わる」

2023.10.13

教える側は注意・説教・教育をする。ところが、教えられる側の頭はこれを好まないようにできている気がする。人は教えられて成長はしない。ほとんどが教える側の独りよがりになっていることが多い。自分はこれまで教えることを意識したことはなかった。生きていくことで精一杯で、他人の事を気にかけたり、一緒に働く人間に教える余裕などなかった。

でも、大変な仕事でも面白がって、失敗したり泣いたり笑ったりの繰り返しで、少しでも気を緩めたら会社がつぶれると思いながらやり続けてきた。

古町に店があった時に、女性スタッフが私に言ったことがある。今でも忘れたことがない。「朝、店に来たら社長が首吊って死んでいるかもしれない。だから毎朝心配で心配で」と。

そんな日は財布の中身を確認して、夜は「皆で飲みに行くぞ!」で一日が終わった。小さな会社において自然と人が成長する原動力は2つ、「面白いこと」と「極限で生きること」。

例えば、

「これはこうするぞ!」「はーい!」

「これからはこうだと思っている、お前らはどう思う?」「わかりません!でもやってみます!」

「また失敗したな、次はきっとうまくいくからやってみよう」

こんな連続だった。ほとんどの中小零細企業はこんなもんじゃないのか。

自分の子供もうまく教育できない人間が人の子を教えたり研修したりして育てることなんて無理だ。ところが、世の中は当たり前の様に教育とか研修をやる事を押し付けてくる。

やれば少しは理解できることがあるかもしれないが、成長はしないと思う。

ここに「人」と「仕事」のラブストーリーがある。人生で一番長く時間を使うのが仕事。故に、自分で選んだ仕事が自分にとって大切でおもしろい存在であることがいかに大切か。

自分で選んだのにそこにおもしろさを見い出せないのであれば、その仕事には向いてないし時間の浪費をしているだけだ。

若い時は分からないかもしれないな。やっとわかったのは、仕事を通じて出逢った人間と仕事を超えた関係ができたことだ。

昨日、メーカーの営業マンとしてだいぶ前に担当してくれた50代半ばのおやじ2人が会いに来てくれた。何年振りかの再会。これもラブストーリーなんだよ。俺にとっては。

皆一生一回、自分のラブストーリーをもっている。好きになる、打ち込む、長く続ける、これでいい。