城丸正ブログ

トラウマ

2021.03.12

何度も書いているので、またかと思うでしょう。

スタートはリサイクルショッですから、粗大ゴミのステーションはほとんど頭に入っていた。

なぜなら、大事な『仕入場所』だったからです。

多少後ろめたさもあったが、生きる為には『ひろう』は大切な基本行動だった。

ある日、BSNテレビだったと思うが、『おもしろい』ということで取材したいと連絡が入った。『俺のやっていることはまんざらでもない』なんて勝手に思い込んでしまった。

ところが、このテレビのロケが朝4時から約4時間くらいかかった。なのに、放送されたのが1分くらいだったと思う。正直辛かったし、たった1分かよというのが本音でもあった。

そのテレビ番組を見たおばさんが、『あんた、拾った物に1,000円も値段付けて売っている、いい商売しているね』と言われた。一瞬、『ウルサイ、ババ』と口から出そうになった、いや、出ていた。

商売を始めた頃、なんだか訳の分からないことだらけ、使っている軽トラックもゴミのような車で動いていた。それから数年経って日本の古道具から米軍基地を回り始め、アメリカの古道具へと。

古町で10年以上経ったとき、何を血迷ったか新車のアウディ・クワトロを買って乗り始めた。そしたら昔からのお客さんが、『調子こいちゃって、そのうち痛い思いするよ』と笑いながら言った。『ウルサイ、大きなお世話だ』くらいにしか受け止めていなかった。案の定、売上げは下がるし、スタッフの顔はそんな車買う金があるんだったら給料上げろよと言っている空気が漂い始める。

それと同時に、古町から鳥屋野へと移転する決断の時でもあった。やっちゃいけないっことをやったと気が付き、アウディ・クワトロは1.5tのアルミボディの新車のトラックの下取車として姿を消した。

それ以来、個人で乗る車は古いポンコツを乗り継いでいる。

これは自分にとっての『トラウマ』だと思う。

貧乏性であり、心配性であり、あの時のオバサンの言葉や、お客さんの『調子こいちゃって、そのうち痛い思いするよ』が、ずーっと今でも気になる。

一番は働いているスタッフの受け取り方、それに尽きる。

世の中には俺のような小心者の商売人は結構多いのではないか。