おかげさまで30年経ちました。
「憧れたオーパ、アクメやカーフのような店を新潟にもつくりたい」と真似から始めたツールボックス。
でも何年か経って気がつくんです。
「いや。真似てもアクメやカーフにはなれないな。やっぱり、俺は俺しかできないことをやろう。」って。
それからの私は改めて新潟という町をじっくりとみるようになりました。
新潟らしさ、人、場所、文化、産業、色々なことの“ならでは”
三条ならでは、長岡ならでは、というように。
すると、店の場所も “らしさ、ならでは” がキーワードになる。…古町じゃないよな。
“俺らしさ、俺ならではってなんだろうな・・・”
新潟の町を車で走りました。色々な場所。そして考える。
その頃、私の愛車はハイエースでした。私の親友。
配達のとき、買い付けのとき、悩んだとき、いつも一緒の親友と。
ある日鳥屋野潟を通りかかりました。
ふと10年前にUSED家具を保管のために借りた倉庫のことを思い出した私はそこに行ってみました。
倉庫に着くまでの景色、環境が次々に目の前に現れます。
「こんなだったかなぁ、・・・・すっごくいいな!」 私にはそこが最高の宝物に見えました。
新潟には信濃川や日本海、新潟らしさはたくさんありますが、
“俺らしさ、俺ならでは” 私は鳥屋野潟を選びました。忘れられた場所の古い倉庫。
私にしたら新潟で米軍基地みつけたぜ!というような心躍る感覚ですよ。
ところが、全員反対!誰一人として賛成しない。
「あんな場所?」「誰も来ないでしょ。」「人が通らないような所に店?」話す人話す人これでした。
普通はそうです。だって商売の原則は人が大勢集まる場所へ出店する、が当たり前ですから。
でも本当にそうでしょうか。私は伝え続けました。
「違うんだて! よく見てみろ。目の前には県立図書館、自然科学館、鳥屋野潟公園。こんな素晴らしい環境は他には無いだろ!!」
人に伝える度に自分の中で固まってくる。思い込みの強い私は益々ここが最高の場所に見えてくる、感じてくる。
私は常々逆を考える様にしています。
そうすると、「わざわざ来ていただこう」「普通では駄目だ」「少し変わってないと」「何年かかろうがやる」
色々な気持ちが沸々と湧いてきました。
『必ずお客様に足を運んでいただける!!』そんな思いだけで走り出しました。
でも、そんなに簡単にはいきません。
中心商店街から離れた私(郊外者)は、最近中心市街地再生やまちなか再生という“中心部”ということが注目されていることについて、
一端人が離れた理由をよく考えることがまずは第一だと思います。
時代は大きく変わった。というか、変わり続けていますよね。
どこの地方都市でも○○銀座みたいな通りを作り、都市の真似をする。
田舎の町は都会のようになれるはずもないのに、都会と同じような街並みを思い描く。
これでは“らしさ”など失う訳です。
新潟=港町、リバーサイド、ノスタルジーとか、そこにしかない、物・事・人ってどんなことなんだろう。
無理して人が集まるシステムや仕掛けが必要なんだろうか?って思います。
私の店の話に戻りますが、全国の米軍基地を回ってきた私ですから、ここは私にとって米軍基地のようなものです。
但し、ここは戦争のための基地でありません。
私の考える基地は「お客様にとって楽しくて、ワクワクして、いつ行っても新鮮でおもしろい」場所。
S.H.Sという基地づくりに没頭してます。
補助金使わずにお客様に助けてもらって、カーブドッチレストランに助けてもらって、ラリックの仁ちゃんに助けてもらって、
ジェームスの塩谷君に助けてもらって、もうひとり星野設計事務所の貴行にも助けてもらって。大変ですけど?
これが私たちの田舎の小さな商店街であり、大切な基地なんです。