『モノ』がなかった時代を想像できない世代がどんどん増えてきた。
『モノ』がない時代を生きてきた人は必死になって働いて『モノ』を手に入れた。
そして『モノ』が足りるようになり、次第に『モノ』が溢れ、さらに同じような『モノ』がより安く手に入るようになった今、『幸せですか』と問われて、どうだろう。
『モノ』があれば幸せになれると思って走ってきた。
でも『モノ』だけでは幸せではなかった。
何でも揃っていることが当たり前になると、嬉しくも楽しくも感じなくなる。
改めて、自分もそうだが、本気で何かに取り組んで生きている時が一番幸せだし、必死に何かに打ち込んでいる時、将来がどうのこうのと不安になることがないように思う。
だから今を精一杯生きることが大切なんだろう。
だが現実はありとあらゆる『モノ』が揃いすぎて便利になり、情報が多すぎる事が逆に幸せというものから遠ざかっていっているのではないか。
幸せかどうかわからないが、当社の男性社員は、社員同士て乗っている車が飽きてくると、車を『まわす』。お前、乗ってみるか?などと言って『リサイクル』とでも言えばいいんでしょう。
例えば入社3年目の若い社員は、入社した時、中古のハイブリッドカー プリウスを200万円で買って乗っていた。その彼が、20年前のトヨタのRAV4に乗り替え、今、15年前の古いベンツのEクラスのステーションワゴンに乗り始めた。『まわし』ているから想像を絶するくらい安いプライスで手に入れた。そしてその車を維持していくために必死で頑張ります、なんだか幸せな気分ですと言った。
その時、20年位昔に戻ったように私は感じてしまった。『カーキチ』とでも言ったらいいんでしょうか、『カーキチ』なんて言い方も今や死語です。
たかが車です。選ぶ車・乗る車で人の感覚は大きく変化します。
これこそが、今すごく大切なことではないだろうか。
人に出会い、仕事の仲間から様々な影響を受け、今まで感じたことのなかった世界に出会う。そして色々な感性が生まれ、人とは違う『モノ』が欲しくなり、必死になって手に入れ、頑張って生きて行く。これが人を変え、成長させていく『モノ』のような気がする。これも幸せの一つのカタチではないだろうか。
新車じゃ絶対に買えない車でも、発売から15年位経てば国産の『軽』より全然安い。壊れることを覚悟して乗る経験も、普通の人が味わえない面白さと切なさがある。
人間も中古になって壊れたら捨てるではなく、直して『死ぬまで生きる』、同じだよ。