城丸正ブログ

継続することの意味

2018.08.07

私の店は昔、男性スタッフ8人に対し、女性スタッフ2人という比率。徐々に女性スタッフが増えて、今では逆転しています。お客様も圧倒的に女性の方が多く、もの凄い変化だと思っています。

昔、男性スタッフだけの時は、ばかやろう、行くぞ、何やってるんだ、の会話で物事が進みました。そんな時代から続けてきてくれる男性社員が何人かいます。しかし女性社員が徐々に増えてくると、どうしても難しい。

私が男だからかもしれませんし、経営者として能力がないというのもある。それと、男女平等を否定はしないが、心の奥では不可能に近いと思っている。できれば男女共力の方がうまくいくのではないか。男の役割、女の役割がある。男だけが輝いているわけでもないし、あらためて女が輝きを取り戻すには、などとカッコつけたって何か意味あるのかよと思ったりもする。

男は強い方がいいし、女は優しい方がいい、平等より共力の方がしっくりいく、平等という権利の主張を否定はしないが、義務という目立たない存在が権利以上に大切なような気がする。平等という権利と、共力という義務、ちょっと勝手な解釈かもしれないけどね。

うちの男性社員は女性社員より2時間以上早く出社してくる。なぜなら、販売・配達・修理・重い家具の移動やレイアウト変更、女性にはなかなかできない。こんな時、男性社員が女性社員に、男女平等なんだから女もやれよ、などと言わない、思っていても言わない。世の中の至る所でこんなことは起こっている。

男女平等は単純ではない。それと、ブラックとかホワイトとか、色で企業を分けるのも今の流行だが、なかなか経済成長しない時代、必死で不安定な世界で生き残りをかけて頑張っている中小零細企業が99.7%を占める日本で、0.3%の大企業の常識を我々に当てはめても何の解決にもならない。その大企業で過労死がニュースになっているのも事実だし。

最近時給を上げる動きが出てきた。いやなのは、時給が上がれば消費につながり、それが経済成長につながるという解釈、もういい加減にしろとも思う。4人に1人が非正規社員という現実、これは企業だけの責任ではない。国も大企業を守るために、人もコストと考える資本主義社会の常識を受け入れてきた結果、皆の責任だと思う。

拡大とか成長とかという名の元に、成るように成ったということ。

人手不足の会社の社員は、前よりも何倍も負担が大きくなっている。人の何倍も働かなければ生き残れない時代に、ブラックとかホワイトとか、どっちかというとブラックであるマスコミから言われたくない、ちょっと静かにしていろと言いたい。

地方銀行が合併する新潟で、その理由はもう皆理解しているはず。人口が減って、今当たり前に存在する業種がどんどん無くなっていき、縮小傾向が一気に進むと想定しているからだと思う。だとすれば、民間の上に立つのか、下に立つのかわからない官が、何をしなければならないのか、補助金ばらまく前に自分達が民間にあわせてリストラ、縮小を率先してやらなければならないと思う。ま、政治家が定員を増やす、国だから無理か。官が栄えて、民が滅ぶ、そんなことにならないように子供達のためにさ、あ、わかった子供が増えないのは、民間が滅ぶという失望感もあったりして、じゃあ全員公務員にしよう、そうしたら幸せ、子供も増える?

冗談、我々商業をはじめとする、中小零細企業は本業を継続することが社会を支えるというプライドを持つことも大切。

事業から生み出す、たった1円の血税でも社会の役に立つと思ってさ。