私は人の話を聞くことより本を読む方が多い。特に池井戸潤や倉本聰、藤沢周平にのめり込んだ時がありました。今でもそうです。
商売を始めた頃は『北の国から』、お金が無くて苦しい時は藤沢周平のいなかの武士の生き方、スタッフが1人2人増え、会社としてのチームになってくると池井戸潤の世界、中小企業の経営者、その社員そして家族、自己資産が無いから当然銀行のお世話になる。決して有能な経営者ではなく、強いわけではなく、毎日悩んだり苦しんだり、乗る車は高級車ではなく、高級住宅に住んでいるわけでもなく、どこにでもいる中小企業のオヤジ。そんな人間達が主人公、善人もいれば少々くせの強い嫌らしい人もいる。テーマは不況や衰退、出口の見えない不況が目の前にある。しかし、ただ漠然と不安だけを抱えていても仕方ない。不安な気持ちは誰にもある。それを打ち消して、先を見据えて当たり前のことをバカになってちゃんとやるしかないと思っている。仕事も人生も良い時もあれば、悪い時もある。要は小説も仕事も人の心を動かすか、動かさないかだと思う。
誰もができることをバカになって、誰もができないくらいやるしかない。皆そんな感じで生きていると思うけど、小説を読むとこんな生き方があったのかというヒントと、自分と同じだなぁと重ねることもある。私はスマホの画面より本という活字と、読めない字を調べたりしながら過ごす時間が脳をいつまでも活発にしてくれると思っている。
歳を取れば取るほど、読み・書き・ソロバンと言いたいが、読んで・書いて・考える。若者よ、当たり前のことをバカになってちゃんとやる。今、あんまり言われることないでしょう。人手不足だと優しさの競争をしてしまう。そのため、ついつい基本から遠ざかってしまう。昔はこうだったは通用しないかもしれないが、本当の優しさは強さだったりする。
寂れていく町や村、商店街をもう一度以前のように活気ある場所にしたい。そういう活動もいいでしょう。でも普通の気持ちじゃ無理。廃れていく町の声に耳を貸さずに、今ってこうだよねという流れで、時代に流れて来たわけだから、これを再生するって異常なまでの当たり前をバカになって他人から何と言われようが、10年でも20年でもやり続ける人が本当にいるのだろうか。
マスコミが取り上げることがなくても、商いをやり続ける。どうしても最後は小商いの思想になってしまう、そのカタマリが町になる。つくる・売る・住む・学ぶ・遊ぶ、小さいけどそれが揃っている。
互いに助け合っている。いざとなったら戦う。
まさにそんな小説になるような場所と時間を提供する。