「憧れたACMEやカーフのような店を新潟にもつくりたい」と真似から始めたが、何年か経って気が付く。いくら真似てもACMEやカーフにはなれない。やっぱり俺は俺しかできないことをやろうと。
それから改めて新潟という町をじっくりみるようになった。新潟らしさ、長岡らしさ、人・場所・文化・歴史・産業、色々なことの「ならでは」がキーワードだと思い込む。新潟の町を車で走った、私の車はハイエース。私の親友、配達のとき、買い付けのとき、修理のとき、悩んだとき、いつも一緒。
ある日鳥屋野潟を通りがかったとき、昔米軍の払い下げの家具を保管するために借りた倉庫のことを思い出して、そこへ行ってみた。倉庫に着くまでの景色・環境が、次々に目の前に現われてきた。私にはそこが最高の宝物に見えた。
新潟には信濃川や日本海、一言で言ったら水の町、だったら鳥屋野潟はまさに最高の立地。私にとって「新潟で米軍基地みつけたぜ」というような心躍る感覚だった。
ところが、「全員反対」誰一人として賛成しない。「あんな場所」「誰も来ないですよ」「人が通らない車も通らない所に店」話す人話す人がこれでした。普通はそうでしょう。商売の原則は、人が大勢集まる場所へ出店するのが当たり前ですから。
でも、本当にそうでしょうか。私は訴え続けた。「よく見てみろ、目の前には県立図書館、自然科学館、鳥屋野潟公園、こんな素晴らしい場所は他にないだろう!」人に訴える度に自分の中で固まってくる。思い込みの強い私は、益々ここが最高の場所に見えてくる。何年かかってもやり続けたい。
「わざわざ来てもらう」「普通では駄目だ」「少し変わっていないと」色々な気持ちが沸々と湧いてきた。全国の米軍基地を回ってきた私にとって、ここは米軍基地のようなものです。
但し、ここは戦争のための基地ではありません。私の考える基地は、「お客様にとって楽しくて、ワクワクして、いつ行っても新鮮でおもしろい」場所。
これしかないとスタートしたのが、21年前の鳥屋野の店です。