20年くらい仕入のために米軍基地を回って、その時見た米軍ハウスは家の基本だと思った。
アメリカ映画に出てくるようなイメージではなかったが、平家でそれほど大きくなく、シンプルな建物だった。
今でも住んでいる人がいると思う。
日本の大工がアメリカ軍に指示されて作ったと言われている。
リビング・ダイニングとベッドルーム、廊下はなくドアを開けて部屋に入り、ドアを開ければリビングあるいはベッドルーム。
今でも日本人は間取りがどうのと悩んで楽しんで、出来てみたら住みづらいどうしよう、なんてことも多いかもしれないが、その点、あの当時、米軍ハウスは『これでいい』『これがいい』という感じだった。
一番驚いたのはダイニングテーブルの大きさだった。
エクステンションテーブル、広げると2m以上あって、ダイニングチェアが8脚くらい平気でセットされていた。
家族数ではなく、文化なんだと思った。
時代とともに変化していくものもあるが、そうじゃないものもあっていい。
最近、目ざわり・耳ざわりなのが、『日本だけまだこうだ』という言い方。
先進国はみんなそうだ、日本もそうしなければならないという流れ、アメリカに憧れを強く持った世代だからこそ、なおさら日本らしさを意識してしまう。
例えば、『おうち』とみんなが言えば、いい歳こいたおやじが『おうち』や『おなら』だの、いや『へ』か。
家であり、自宅であり、ハウスであり、ホーム、子供じゃあるまいし、おうちに帰ろうなんて言っている場合か。
ドラマは『家に帰る』でしょう。
なんだか米軍ハウスの話しが『おうち』になってしまった。
それほど個人的に流れに流れていくという今が嫌でしょうがない。
『おもてなし』も死語、『おせっかい』はまだ死んでない。
『おうち』の次は『おそと』といって、アウトドアライフを『おそと』でバーベキューなんて言ってしまうのだろう。
歳を考えて言葉を選ばないとな、日本語は美しいはず。
たまに何言っているんだかわからなくなる。
年取ったせいにする。