先日、長岡のNPO法人で、ある町おこしの会の定例会議に参加して考えさせられることがあった。
立ち上げから年を追うごとに、なんとなく漠然としている感じがした。
歴史ある古い町を整備する、歴史ある製造業や商売を活性化する、もう一度再生し人々に関心を持ってもらい、足を運んでもらう、最終的に他にない文化や価値に接してもらい、お金を使っていただくことで町は元気になっていく。というストーリーなんだろう。
だが、時代が進み、人々の欲求が高度化していく従来の製造・商業・宿泊・文化といった縦割りの単機能ではなく、複数の業種が複合され進化していく町が望まれていく気がする。
私も一歩間違うと、高畑の森を再生することが目的になってしまって、本来利用する立場の人の欲求を全く考えない店づくりをしてしまう自己満足ショップになってしまう。町おこしという名の元で、どこでも起こりえる問題なのではないか。
そもそもの基本は、誰に・何を・どのようにという3原則がある。そして、ついついお金を使いたくなる気分にさせる。もう一つ、まち・みせ・ひと、その町に相応しい店があるのであれば、その店に相応しい人が働く。そして、住んでみたい・働いてみたいと高い評価につながり、町に活気が生まれ、『訪れたくなる街』としての評価になり、来街者が増え、結果、町の価値は上がるのではないだろうか。
歴史の再生だけでは人を呼ぶことはできない気がする。古い旅館を再生した経験から学ぶことは多い。しかも、一刻とも休まず進化し続ける必要もあると思っている。簡単なことではない。
人口が減っていく時代に、地方創生なんて軽々しく言えることでもない、痛いほどわかる。