何度も何度も書いています。
店をどこに作るか、転々として辿り着いたのが鳥屋野潟の古い倉庫であり、長岡の廃業した割烹旅館です。
古い建物を直していく過程で色々気付くことがある。
2つの店は決して新しくピカピカではないが、何十年も存在していたという存在感を大事にすることに尽きる。
ほとんどの人が『こんな場所にこんな建物があったの』と言う。
次から次へと新しい店が出店し、巨大な商業モールや全国をまたにかけて出店する強くて大きい店が当たり前。スピードも求められる。
だからこそ、時間をかけてじっくり取り組む必要もあるんじゃないのと思っている。
特に長岡の高畑の店は旅館だった建物ですから、何万人、いや、何十万人の人がどんな思いで料理を味わい、温泉につかり、周りの環境にひたり、時間を過ごしたのだろうかと思いを馳せると同時に、それを受け継いで、今ならばこんな時間の過ごし方はいかがですかという提案ができれば最高だと思っています。
忘れてしまった場所だからこそ、この町にはこんな場所があり、こんな店があって、こんな人が生活しています、どうぞよかったら寄って行ってください、なんです。
便利で簡単、安くて早いはないけど、何となくここは心が満たされる。
敢えて都会のまねはしない。
もっともっとを止める。
地元で好きなことを、好きな仲間と、好きなだけやって、それでちゃんと食べていけて、ちょっとだけ地元の役に立つことをすればいい。
それが田舎の流儀じゃないのか。