最近読んだ本で、1993年アメリカから対日要求毎年出てきて、『これを変えろ』『あれを変えろ』という要求の一つに、大店法の規制緩和要求があった。
それまでは日本の商店街に大規模な店を作ることは法律で縛っていたそうです。それを解除しろという要求がアメリカから出されて、大店法が改正され大きなスーパーができるようになった。本当は最終的にアメリカのスーパーを日本に進出しやすくするという狙いがあったが、その前に日本を代表する企業が地方にどんどん店舗を出し、その結果、各地の商店街がシャッター通りになった。
これはほんの一例で、資本主義経済社会のトップであるアメリカはどんな手を使っても自分を脅かす競争相手に対し、様々な自分にとって都合の良いルールを決めていく国。そのアメリカが最も脅威を感じたのが日本。あんなに小さな国がなぜここまで強くなるのか、戦争であれだけ痛めつけたのに。
不思議だった、一番の脅威が終身雇用・年功序列・忠誠心の高さの上に築かれた文化や習慣、日本人だけが持っている価値観。これを崩すことが日本を弱体化する一番の方法だと確信した。
日本を代表する大企業や、アメリカ型のビジネスを崇拝する経営者は大中小を問わず規制緩和へ突進していた。ただ日本の99.8%は中小零細企業で、今まで社長を親父さんと呼んだり、親父は従業員は預かっている子供で、会社は従業員の面倒を見続ける。働くことが生きることであり、社長だけが高級住宅や高級車など所有することなどなかった。だから死ぬまで一緒に仕事をしようぜ、これが日本の強固なパワーだったはず。
これは他のどの国も敵わないと感じ、これを異常だと言い出し、構造改革の名の元、民主化の名の元、壊し始め今日にいたる。
労働者側と経営者側というよな呼び方、権利の主張、そうこうしている間に資本主義の経済成長が0%~1%位になると、もっと改革して経済を成長させる。至る所で改革・改革、してもしなくても変わらないことにも改革。
私も若い頃はアメリカに憧れをもっていました。服・車・生活・映画・豊かさ等々。しかし年を重ねる毎にヨーロッパの老舗に興味を持ったり、最終的に日本の文化・習慣、国民性はどうなんだろう。もう一度見直してもいい時に来ているのではないかとかね。
私の子供の頃、消費者などと言う言葉なんてなかった。お客さんであり、お客さんに『様』なんて付けなかった。商売人も生活者も共同体で、お互いなくてはならない存在だった。この消費とか消費者とかという言い方はアメリカ的な考え方だと思う。
それを日報の変容する雇用という平成考を読んで、改めて平成に入って30年、何か大切なものをなくしたように思う。地方の約99%の中小企業は、消費は美徳ではなく、働くことが美徳に戻そうよ。今人口が減る時代、次から次へ成長の名の元の拡大が当たり前だけど、今目の前にある働くことや、働く人に目を向けて大切なことは責任を持つことではないだろうか。それで自分の会社が倒産しても生き残る会社が、またその人達の面倒を見るという日本的な社会って無理なんだろうか。
人は皆幸せになるために生まれてきたのに、と思う。難しいけどね。