変化しなければ生き残っていけないとよく言われる。
じゃあ、何を変化させればいいのか?
変化を生み出すというのは、単純に挑戦することなのか。
じゃあ、挑戦するとは、何に挑戦すればいいのか。
目の前にある問題か?
なぜお客様が来店しないのか?
なぜ売上げにつながらないのか?
なぜメーカーが直接お客様に売るのか?
なぜ今まで当たり前にやってきたことが通用しないのか?
あげればきりがない。
実は次から次へ問題は発生する。変化するというのは特別なことをするのではなく、人は本能的に変化していく動物なんだろう。進化論とかあるが、学者が後付けで論じているだけなのだろう。
最近また『ニューライフ』など、カタカナで表現する。
新しい生活、コロナウイルスの影響で生活を変えなければみたいな言葉が出てきているが、なにも『新しい』という言葉に翻弄されることはない。中身は意外と古くて昔の暮らしだったりする。
未来は予測するしかない。誰も今回のコロナウイルスの感染がここまでひどくなるということは想像できなかった。学校の授業で歴史があるように、過去から現在に至る変化の中で、未来を予想するしかない。
そこで感じるのは、変えて良いことと、変えてはいけないことじゃないのか。何となく、もう経済というお金を中心に考える大都会への一極集中から、ローカルという地方あっての中央だろうとか、本当の豊かさは精神的なものと経済的なものが、バランスよく車の前輪にならなければならない時代であり、これからの挑戦はローカルに存在する。
グローバルを意識し、国際人になるために英語が必要だという時代でもない気がする。
本当⇒マジ⇒マ みたいな変化が今の時代だとすれば、国語を勉強し、スマホを捨てて本を読むという当たり前が変化に対する本当の挑戦ではないだろうか。