自分が長い年数やって来た仕事を他人に面白いし、やり甲斐がある、働き甲斐がある、可能性があると積極的に言えない。
なぜなら、それは自分自身の問題で、一緒にやってみないとわからない。
一緒にやってみたら、何だ、大したことないと思えば去っていく。
農業・商業・工業・ITであろうが、その仕事のどこが良いのか、どういうメリットがあるのか、上手いこと言葉で表すことはできないと思う。
ただ、どの仕事も、その人が『自分はこんな生活をしています』と話した時、何となくそうなのかと理解することがある。
例えば我々のような小売業は店という売場だけでなく、今日のように、早朝商品が届く、特に家具は大きくて重い、トラックの運転手さんと一緒に荷物を下ろす、『今日は雪が降るね、高速道路大変だったでしょう』などと会話が生まれる。人が動けば空気が動く、何とも言えないリアリティがそこにはある。
売場という舞台もすごく大切だが、その舞台の裏側にはちょっとしたショートストーリーがある。人と人との繋がりがあるからこそ、一言で言い表せないし、どんな仕事も一般論では語れないことがある。
私は合同企業ガイダンス等で、自社の強み・将来性・安定性をアピールできる場が至る所で多くなって、若い人にどうか我が社に来て欲しいという流れは、私の会社は小さすぎて乗って行くことができない。
先日老舗の社長さんの話で、経験が深ければ深いほど根っこの部分は簡単に言葉にできないということを感じた。
大切なのはこの仕事で生きて行こうとする自分だということ。
国が働き方に口を出すということは、生き方や考え方にも口を出すというところまで来ている。その国の政治家や行政に携わる人間達が、今まで以上に地に落ちてしまったようにも感じる。だからこそ、しっかりと自分の道を見つめ直す必要がある。
昨日、NHKの番組で都立日比谷高校の高校生が政治も含め、今の日本を憂いていたし、これからの自分達はどう生きて行くかを語っていた。
頭が良いだけでなく、何とかしていかなければならないという彼らの考えが素晴らしかった。