城丸正ブログ

一つの成功例

2025.08.10

日報の90年代ノートという記事は参考になった。その内容は、大黒摩季がなぜヒットを飛ばすようになったか、だった。

最近は「群れる」ことが当たり前になってきた音楽業界。ソロでヒットを飛ばすことが少ない気もするが。

1990年代、ある音楽事務所の戦略で大黒摩季はテレビにも出ず、雑誌の取材にも応じず、ライブもやらず、素顔も明かさず、人前に出ないことであくまでも「曲」に集約させることで、彼女は本当に存在するのかと半ば都市伝説的な書かれ方をすることもあった。

彼女はもともとシンガーソングライターを夢みて北海道の札幌から上京してきたが思うようにいかず、コーラスの仕事をしていた。

当時の業界では、自分の歌よりも周りに合わせることが求められた。コーラスはソロでは成功しないと言われていたが、彼女は「コーラス上がりは売れない」という常識を覆したかった。そこにコーラスガールの「闘争心」が強く働いたと語っていた。

「人」より「曲」、その系譜は『うっせえわ』の爆発的大ヒットで注目された「Ado」にも受け継がれているという。

いつの時代にも流れに対して「そうじゃないよな」という考えと行動がある。

右を見ても左を見ても、男も女も、群れて踊って歌っているグループが圧倒的に多い。その方が早くある程度の認知度が上がってヒットにつながるという流れなんだろうな。

我々の商売もソロで始めて何十年もやり続けて気が付いたことがある。それはソロでの限界だった。

異業種の人たちと「群れ」をつくって一つ屋根の下の商店街をつくってみたが、人間が「飽きる」スピードはものすごく早い。

あらためて各々の店が「大黒摩季」であり「Ado」のような存在感を持たなければ「群れ」としても生き残れないだろう。

様々なメディアに取り上げられたりする必要はなく、「来ればわかる」とか「また来たくなる」ぐらいでいいのではないか。