今年もインフルエンザとコロナのワクチンの両方を打った。理由は、感染しないようにと思っているから。それと、安心という気持ちがあるからだ。
だが、今日の記事によると、最近あえてワクチンを打たないようにしている人も多いようだ。たしかに病気でもないのにウイルスや細菌に似た異物を体内に注入するわけだから尻込みするのもうなずける。今、それが遺伝情報という目に見えないものになった。さらに、新型コロナワクチンがノーベル賞に輝いたからといっても気味の悪さは残るし、ワクチンの安全性を疑う声が高まっているという。
これらはほとんどがSNSが情報源だという。ジジイが驚くのは、国や製薬会社が科学的根拠を基に安全性を訴えてもなかなか響かないという現実が目の前にあるということ。別にテレビ、新聞の内容を鵜吞みにすべきだと言っているわけではない。あまりにもSNS発信の情報を信じすぎる傾向が強くなっていると思っている。
ある人類学者が、反ワクチン思想の根底には政治・ビジネス・研究に携わる人々の「疑わしき動きに対する根強い不信感」があると言っている。科学の正しさを訴えてもデマや噂は消せない。なぜ人はここまで信じられなくなったのか。おそらく根底にあるのは金と権力という力にもあるし、権力者(政治・大企業・その他)に対する抵抗心もあるのではないか。
自分にとっては、新聞・ラジオ・テレビのようなオールドメディアとSNSのようなニューメディアがなんとなく対立しているように映っている。
モノや情報があふれてくると何が正しくて何を信じていいのかわからなくなってくる。そして不安になり、人を疑ってしまう。もういい加減にしようぜ。
世の中はおかしいことや信じられないことであふれかえっているが、人のことは信じたい。それは身近なところに存在していると思う。
ワクチンを打ったのは信じているからだ。でも裏切られることもある。それが世の中であり、それでも強く生きていくには自分を信じてくれる人がいるからだ。