商売を始めて10年くらい経った時、従業員の親に言われたことがあった。
それは、家族や子供を養うこともできない、そしてその結果、家庭崩壊してしまう人が店や会社の経営を上手くやれるわけがない、本当は自分の子供も働かせたくなかった、と。
私は何も弁解できなかった。
全くその通りだと思ったからである。甘い考えで商売を始め、嫌というほど痛い目にあい、一番大切な家庭も壊し、何のためにこんなことを始めてしまったんだろうと悩んだ。
そこからが本当のスタートだった。
金なし・信用なし・何にもない人間ができることは死んだ気になって、目の前にある自分が決めたことを、諦めずにやり続けるしかない。
当時も今も、脱サラ・事業の創業・起業など、さもさも未来は輝いているような錯覚、更にクラウドファンティングとか補助金という、援助するとかされるとかが当たり前のような流れ、お金はもちろん大切だが、それ以上に失敗の量や質を、人の何倍も体験しないとダメだと思う。
そして今の自分の信用で借りられるお金で、まずはスタートする。それが50万あるいは100万だとしても、それで出来ることをやる。
私がサラリーマンを辞めて借りられた信用は200万円だった。当時、トヨタのカローラが200万円くらいだったと思う。つくづく、俺の信用はカローラ1台分かと思い知らされた。
これは大事なことなんです。
そんな状況から生まれたのが、拾う・貰う・借りるというスローガン。
人が捨てた物を拾って、綺麗にして売る。
人がいらなくなった物を貰う、そして、綺麗にして売る。
人から借りる、それも出来ればタダで。
こんな生き方をしていればどうなるか誰でもわかる。色々なものを失う、そして、得たものもある。
それは雑草のような、踏まれても踏まれても生えてくる。私の頭の毛はもう生えてきませんが、そこに一つの答えがある気がする。
どうせ、プラス・マイナス・『0』ゼロなんだと、誰だって楽して楽しく生きたいが、仕事、特に商売はそうはいかない。
雑草になるか、補助金貰ってシュガーになるか、いよいよ県も市も補助金なんて出してる場合じゃなくなった。
自分のお金じゃないから簡単に考えるし、返す必要がないから必ずシュガーになっていくのは人の常。