いたる所で、ブランド、ブランド、あるいはブランド化、そうだ、これもブランドにしよう、そうすれば見てもらえる、買ってもらえる、利用してもらえる、まずパッケージを変え、カラーを変え、デザインを変える、カッコよくすれば結果につながるかもしれない。など、あっちでも、こっちでも、石を投げればブランドに当たる。もうブランドは空気言葉になってしまった。ま、しないより、いいか!
私はブランドの解釈をこう考えている。例えば、提供する側がブランドを意識すべきではない、あくまでも受ける側が感じることだと思っている。
歴史・背景・評判・品質・信用・信頼、そして心に響く、等々、簡単にブランドということを口にしてはいけないと思っている。しかし、ブランドが一般化している。ということは、特別なことではなく、当たり前になっている。一人の男が、俺は背が高くイケメン、そして頭もいい、どう?こんな俺!と働きかけたとき、動く人もいるでしょう。でもこれ、ブランドになるか?漠然と多くの人に指示されたい気持ちは理解できるが、それは無理でしょう。だから大切なのは、まず、誰に・何を・どのようにを基本にしないとさ。この中で、誰に、を沢山の人にはだめ。
本当はこれだけ、ブランド・ブランドとやればやる程、差別化は難しくなる。逆に意識しないで本業を深く掘り下げることも大切じゃないだろうか。9割以上の事業はブランドではなく、1人1人のお得意さんや、ファンのために、もてる力を全てそこに集めて、気が付いたら10年・20年・30年・100年続けさせてもらった、そういう存在になっていると思う。
私は世の中の流れが一つの方向に流れ出すと、悪い癖で、すぐ逆走したくなる。
理想は大も小も、10人10色も、様々な物や事が存在する。そして、好きなことを、好きなだけ、好きな人とやり続けた結果、ファンが1人また1人増えていくことが幸せだと思っている。
そういう意味でのブランドなら、どんな人にもブランドはあると思う。