最近、荷物を受け取るとき液晶画面にタッチペンでサインすることが多くなった。
ところが、自分で書いた文字がどう見ても自分の『字』とは違うから、『これで良いの?』と聞くと、『OKです』と言われる。すげー便利になったなぁと思うと同時に、サインするという行為は確実に本人が書いたという証明なはずなのに、誰が書いたか分からないようなデジタルペンで書いた文字で良いという時代。本当は、もうサインも必要ないし、日本の文化である印鑑を使うことも意味がないということなのかも。それくらいありとあらゆる場面でデジタル化が進んで便利になったし、当たり前になったのだろう。
だが、ある日突然、故障やトラブル、そして最近の想像を超えた自然災害に見舞われたとき、使えなくなったり、データが無くなったり、口座の預金が消えたりすることもあるかもしれない。
もういい加減、もっと便利・もっと便利を追求しなくても生活は可能だし、何事も行き過ぎるとろくなことはない。最終的にちょっとしたトラブルですぐイライラする人や、耐えられない人が増えているのもデジタルハートが原因かもしれない。
どこまで進むんだろう。
それとは別に、便利の追及かどうか分からないが、高層マンションが大雨や台風で電気が止まり、エレベータが止まり、水道が止まりトイレが使えないことや、想定外のことにもう対応できなくなり、こんなはずじゃなかったことも増えている。
不便なくらいが調度いいとは言えないが、もう止めることができないのも現実なのか、ちょっと立ち止まって考えるのも大切だと思う。