城丸正ブログ

まんじゅう屋さんにヒントがある

2020.08.03

京都にある老舗のまんじゅう屋の話。おそらく有名なまんじゅう屋だと思うが、あえて名前を出さずにその店の考え方が書かれてあった。

それは賞味期限の関係から、京都から離れた場所での販売を制約している。

しかも職人が作れるのが1日100個まで、そもそも量を増やしてまで売る気がない、というのも、規模を追わず希少性があるからこそ製品の価値が維持できると考えている。京都人ならではの頑なさと、見る向きもあるが、やはり1200年の京の都の知恵、規模や大きさを追うあまり、没落していった武家や商家を見てきた先人の姿がDNAに残されているのだろうと、様々な考え方で人は仕事、そして商売を営んでいる。

何が正しいとか間違っているとかではなく、この京都のまんじゅう屋の考え方も参考になるし、最近出版された『欲望の経済を終わらせる』という本もなるほどと思う。

私自身は使い捨てに対し『もったいない』という理由で始めただけ、大義があったわけではなく、ビジョンや再生などと大げさな動機があったわけではなかった。ただ、やり続けていくうちに、すぐダメになる物が安く大量に出回り始め、日本製ではないものがどんどん多くなってきている。

よく、量より質だといっているが、早く廃棄してもらって次を買ってもらう、大量生産・大量消費、そして大量廃棄のサイクルを早くすることで経済が回ってきたわけだし、これからもそれを止めることは難しい。

複雑な気持ちになる。

そんな中、待ったなしの状態が自然環境に対する具体的な改善策の一つとして、プラスチックごみを減らすためにレジ袋の有料化が始まった。買い物バッグや袋にエコをつけてエコバッグと呼んだりしてね、私みたいな顔のこわいジジィが良かれと思ってエコバッグに買った商品入れて店を出ようとしたら万引きに疑われたり、レジ袋を使わないことに越したことはないけど、もういい加減大量に作って、大量に売って、早く大量に捨ててもらう、そして業績を伸ばすという本質的なことに対しNO!と言うのもありだと思う。

最初に書いた京都のまんじゅう屋さんのような考え方で商いをすることが、結果として環境にやさしいということにつながるかもしれない。

力のある大きい組織はそれなりに社会に貢献しているし、小さい組織もそれなりの支持してくれる人がいれば成り立ってく。それもバランスが取れていないとつまらない世の中になってしまう。一旦壊れるとなかなか元には戻らない。

このウイルスも、人間や他の生物と同様に、生き残ろうと必死だとすれば、人間同士が争っている場合じゃない。もっともっと人と人が力を合わせ助け合って生きていけることが経済なんだと思う。

長岡の江口だんごというだんご屋さんも私に大きなヒントを与えてくれた。

まんじゅうやだんごに惹きつけられるのはやっぱ日本人だからだよなぁ。

日本的な考え方をするのもグローバル時代の生き方でしょう。