年の瀬に、敢えて新型コロナウイルスのことは書くのはやめてみてもいいと思う。
ここまで感染が広がると、マスクと消毒と、あと、様々なことをやりながら生きるしかない。
一年位前、ノートに書き留めていたことがあった。
それは、地方のあるデパートが経営不振になり、半年後に閉店し解散するという発表があった。当然、社員は職を失うことになる。誰もが次の職探しに奔走した。このデパートに40代の2人の課長、池田さんと高木さんがいた。池田課長は地元のスーパーに転職しようと面接試験のため勉強し、内定をもらった。給料は今のデパートより3割も減るが妻子とささやかではあるが生活できそう、一安心。片や高木課長は在職中は職探しをしなかった。部下の転職先の決定の報告に『良かったな』と祝福する。『課長はどうするんですか?』と心配する部下に、『私のことはいい』と笑って取り合わない。閉店前夜、徹夜で売場の整理をする男の姿があった。高木課長である。高木課長は子供客にプレゼントする風船を一つ一つ膨らませながら言った。『最後の晴れ舞台を用意してやりたい』と。閉店セールは盛況のうちに終わり、全社員が正面玄関に整列してお客様を見送る。『蛍の光』が流れ、シャッターが徐々に降りる。皆泣いた。最後に池田と高木は『がっし』と握手をした。明日から別々の人生を歩んでいく。高木の奥さんは『あなたどうするの?』とは聞かなかった。高木は最後の6カ月間、沈み行く船に忠誠を尽くした。数日後、そんな高木の自宅にデパートの取引先だった商社の社長から営業課長としてうちに来てくれないかという誘いが入った。この商社の社長とは仕事上の付き合いだけで、格別親しいわけではなかった。高木は喜んでこの申し出を受けた。それぞれの生き方、それを見ている人がいる。分かってくれる人がいる。人生は捨てたもんじゃない。高木課長は古い時代の日本的な男としての価値観を持った人と池田は言った。池田と高木は入社時、ほとんど同じだったと思う。しかし、高木のようなリーダーになる人は責任ある仕事を進んでやろうとする。失敗を重ねながら、そしてこの仕事を選んだのは自分だということを理解している。
この内容を読んだ人も多いと思う。
どっちが正しいとか、間違っているということではなく、自分だったらどう生きたいかという問題だ。
大変な一年だった。
好きな仕事がなくなった人もいるだろう。
今携わっている仕事が辛くて辞めたいと思っている人もいるだろう。
思うようにいかないことは多い。でも、諦めないでやる、それしかない。
どっちかと言うと、高木の方が好きです。
デジタルが進めば進むほど、人間臭いとか、ありえないとか、あってもいいと思うんです。