城丸正ブログ

そのまえに。

2011.12.29

私と私の会社について少しお話します。
今から30年前、私は32歳でジャスコを退社し新潟大学の近くでリサイクルショップを始めました。いわゆる脱サラです。
店の名前は「ツールボックス」。学生さんに修理した家電品や家具を安く販売しようと考えていました。
私は昔から古い物には何か魅力を感じていました。
ですからその当時、新潟市内の粗大ごみステーションは全てチェックをしていました。
ところが、粗大ごみを拾うということは並大抵のことではなかったのです。
そこには縄張りと先人たちの殺気がありました。ごみにも所有権があるわけです。
「俺のゴミに手を出すな!!」となると、彼らが動く前に行動するしかないわけです。
当然時間は早朝、午前2時に起きる日々が始まりました。
ところが、世の中っていうのは面白いもので、ある日私にNPO法人みたいなチームができました。
それがなんと日本歯科大学の学生さんたち。目の前に大勢いた新大の学生さんではなかったのです。
この学生さんたちの中にちょっと風変わりな人間がいました。三宅君といいます。
彼が私に提案するんです。「城丸さん、皆で軍服着てシトロエンのバスで粗大ごみ拾いに行かない?」
U.S.エアホースみたいな三宅君と、どう見ても自衛隊の親父みたいな私なんですけど彼が言うんです、私に。
「城丸さん、どうせやるなら格好よくいきましょうよ!」
それは彼らはセンスいいわけです。なんてったって日本歯科大の学生さんですから。
そんな日々がきっかけでベース(米軍基地)にどんどん魅かれていきます。
日本の古道具からアメリカの古道具へ。北は青森の三沢基地、南は岩国の米軍基地と日本中の米軍基地を回りました。
この間15年くらいでしょうか。このアメリカ軍の基地回りがその後の私に大きな影響を及ぼします。
そこで出会った「人・物・事」。
今でもふとカモフラージュパンツをはきたくなります。
店の中はスタッフにヒンシュクなので週末の駐車場の誘導の時だけにしてますけどね。
この気持、わかってもらえます?!