城丸正ブログ

こんなはずじゃない

2025.07.10

「誰だって最悪なことは経験したくないが、子供の頃から思い通りにいかないことを経験しないとずーっと弱い自分で終わってしまうぞ!」と言われたことがあった。

父が警察官だったこともあって転勤が多かった。当時は家族全員で赴任先へ引っ越すことが当たり前だったから、学校も変わり、友達も代わり、教科書の進み具合も変わる。

新しい環境に早くなれないといけないため、子供心に「とまどい」と「むかつく」ことばかりで最悪な状態だった。

その時代はこういうことが結構多く、誰もが経験することだったと思う。今はどうだろう。父親の単身赴任が当たり前になっているではないか。

子供になるべく負担をかけたくないとか、新築したばかりだしとか様々な理由があってあまり変化を求めないのではないだろうか。

過去を思い出して気付いたことは、子供の頃から「こんなはずではない」とか「最悪なこと」を体験しておくと、ちょっとだけ臨機応変に生きる術を学べるし、いちいちくよくよしなくなるということだ。あと、適当に生きることも身に付いたように思う。

戦後のベビーブームで学校は1クラス50~60人、1学年だけで600人近くの子供たちがいた。しかも成績が掲示板に貼りだされ、順位も発表されるわけだから、なんとなく競争しなければという空気が漂う。だから「受験戦争」という表現もあった。今はもう言わないだろう。

当時は子供が多いのに大学は少なかった。よって入学するには『戦争』を経験するしかなかった。あるいは浪人までして難関大学に行こうとする学生も多かった。

一方、近年は子供の数が減っているにもかかわらず大学の数が増加している。その結果どうなったか?

入れるところに行く。誰でも入れるような大学に入って卒業し、学卒という名のバッジをつけて社会に出てくる。「ありの~ままの~」という歌のように、自分を受け入れてくれるところを選んでいく。子供の頃から思い通りにいかない経験をせずに社会に出ると、大したことないことでも「こんなはずではない」「最悪!」「ありえない」と逃げようとばかりする。

人間は環境の動物と言われるように、子供の時から厳しくて大変で失敗して落ち込んでしまう経験をしないと強くはならないだろう。至れり尽くせりが当たり前になってくるとちょっとしたことでも「もういやだ」「こんなはずじゃない」という感情がすぐに出てしまう。常に被害者妄想に取りつかれた人生になってしまう。

あらためて、ゆるさは敵、厳しさは味方というところに戻るべきではないか。

いやもう戻れないか。本当のやさしさが分からないからな。

「別にあなたじゃなくてもいいんですよ」って言われないような人生を送るためには、厳しいことを受け入れていかないとだよな。