経営は合理的な行為ではないので、結局「人は育てられない、育つもの」という記述があった。「やっぱりな」と、妙に納得した。
昨年の4月頃だった。遠藤麻理さんのラジオ番組に出させてもらい、麻理さんに「S.H.Sはこの春に限らず、入社する社員に対してどのような教育をしていくんですか?」と質問され、即「ほっとく」と答えたら、大笑いされ、その理由を尋ねられ、「自分の子供も満足に育てられない人間がよそ様の子供さんを育てられるわけがないでしょう」と答えたら、「わかる」と例の調子で反応された。どこの会社でも、新入社員に対し期待はするが当てにはしないというのが普通だと思うけど、麻理さん曰く「私は最初から期待も当てにもされなかった。だから、いまにみていろで生きてきた。」麻理さんらしい答えだった。世の中ってそんな調子で、頑張って努力してもなかなか認めてもらえないのが当たり前。だから諦めないで続けるかどうかが試される。
「続くやつは続くし、伸びるやつは伸びる」そんなもんだ。つくづく、経営は教科書もなければ参考書もない。あるかもと思い、ヒントを探して自分も色々読むこともあるが、合理的な行為ではないと感じる。特に、創業者である自分よりも、2代目の経営を継ぐ者に対してはさらに教えられない事が多い。さっきの記述の中で、経営は個人の経験や性格、環境、そしてセンスなどに基づいた、アートの世界に近いとあった。
「そっか、アート」か、経営って。金儲けだけでなく、アートな部分もあるのか、と妙に納得したりした。そう言えば、アーティストの場合、同じ様に継承することはできない世界だ。どんなカリスマもいずれ亡くなる。大切なのは、後継が育つのは、少なくとも目の前にいる今の社長を少なからず否定するような人物を受け入れる土壌が必要と書いてあった。
むずかしいが、未来はどうあがいても個人では読み切れないので、早めに次世代に任せたほうがいいともある。「わかる」、でもね、がどうしても頭をもたげてくる。
カリスマな遠藤麻理さんに代わる人はいない。ある面で、アーティストだからさ。
だから、すごい小さな会社の社長もある意味アーティストなんだ。自分はカリスマではなく、カリソメで十分。どんどん若手にバトンを渡す、そして様々な経験を積んで続けていってほしい。
あとは「運」しかないのかも。