この人に出会ったからこそ今がある、ということは誰でもあると思う。
リサイクルショップを始めたとき、赤い軽トラを中古で買った。
その店が『トイストア』という中古車屋さんだった。
そのオーナーの高橋さんが、フォルクスワーゲンを店の看板として使えばいいよ、目立つからさ。と言って、当時、新潟大学の外れで小屋を作って店をやっているとき、持ってきてくれた。
軽トラを買っただけなのに、たったそれだけの縁なのに、ありがたかった。
しかし、学生相手に商売は上手くいかず、1年ちょっとで古町に出ようと思った。
古町商店街で色々と探した。家賃が高く悩んだ。そんなとき、古町3番町で気になる物件があった。
コーポ横山というアパートの1階、約30坪くらい。でも家賃が高くて諦めていた。
そしたら、五十嵐のリサイクルの店まで大家さんが訪ねてこられて、いくらくらいの家賃だったらやれそう、やれる家賃でいいから、まずはスタートすればいいさと言って下さった。
この言葉と気持ちですぐ動いた。
古町商店街で店を開くなんて、しかも3番町、しかも白山神社の門前町、神様がついてくださる。
門前町といえば、長野の善光寺、伊勢神宮の宇治山田、同じように感じた。
それくらい特別な気持ちで、横山さんありがとう、頑張ります、それしかなかった。
そのおかげで古町での17年という時間が今につながる。
この古町時代は、日本の古道具からアメリカの古道具、そして米軍基地を回るようになり、ほとんど店にいなかったかもしれない。必然的に地元よりも、東京や基地で出会う人が多くなった。
青森の三沢基地では、スクラップ屋のミスタースガヤマさん、『オーパー』・『アクメ』の安田さん、それに、『カーフ』の島田さん、『ロイズ』の久保さん、米軍基地回りは価値観が180度変わった。
一番は安田さん。あの当時、恵比寿のガレージを利用してカッコいい店をやっていた。その店の坂道を1人の黒いマントのような服を着た、長髪のちょっと普通じゃない人が歩いて『オーパー』に来た。その人が、今、日経で連載している『ワイズ』のヨウジヤマモトだった。
田舎もんの俺は感動してしまって、よく来るのと聞いたら、たまに、いやすごいと思った。
因みに、店の雑貨コーナー『S’』のマークを付けているのは、『Y’』をパクっています。
20坪あるかどうかという『オーパー』という店に、日本を代表する、いや、世界的なデザイナーが来る。『すごい』の一言でした。
この続きは、また。