城丸正ブログ

『’S』のわけ

2021.09.29

この人に出会ったからこそ今がある、ということは誰でもあると思う。

リサイクルショップを始めたとき、赤い軽トラを中古で買った。

その店が『トイストア』という中古車屋さんだった。

そのオーナーの高橋さんが、フォルクスワーゲンを店の看板として使えばいいよ、目立つからさ。と言って、当時、新潟大学の外れで小屋を作って店をやっているとき、持ってきてくれた。

軽トラを買っただけなのに、たったそれだけの縁なのに、ありがたかった。

しかし、学生相手に商売は上手くいかず、1年ちょっとで古町に出ようと思った。

古町商店街で色々と探した。家賃が高く悩んだ。そんなとき、古町3番町で気になる物件があった。

コーポ横山というアパートの1階、約30坪くらい。でも家賃が高くて諦めていた。

そしたら、五十嵐のリサイクルの店まで大家さんが訪ねてこられて、いくらくらいの家賃だったらやれそう、やれる家賃でいいから、まずはスタートすればいいさと言って下さった。

この言葉と気持ちですぐ動いた。

古町商店街で店を開くなんて、しかも3番町、しかも白山神社の門前町、神様がついてくださる。

門前町といえば、長野の善光寺、伊勢神宮の宇治山田、同じように感じた。

それくらい特別な気持ちで、横山さんありがとう、頑張ります、それしかなかった。

そのおかげで古町での17年という時間が今につながる。

この古町時代は、日本の古道具からアメリカの古道具、そして米軍基地を回るようになり、ほとんど店にいなかったかもしれない。必然的に地元よりも、東京や基地で出会う人が多くなった。

青森の三沢基地では、スクラップ屋のミスタースガヤマさん、『オーパー』・『アクメ』の安田さん、それに、『カーフ』の島田さん、『ロイズ』の久保さん、米軍基地回りは価値観が180度変わった。

一番は安田さん。あの当時、恵比寿のガレージを利用してカッコいい店をやっていた。その店の坂道を1人の黒いマントのような服を着た、長髪のちょっと普通じゃない人が歩いて『オーパー』に来た。その人が、今、日経で連載している『ワイズ』のヨウジヤマモトだった。

田舎もんの俺は感動してしまって、よく来るのと聞いたら、たまに、いやすごいと思った。

因みに、店の雑貨コーナー『S’』のマークを付けているのは、『Y’』をパクっています。

20坪あるかどうかという『オーパー』という店に、日本を代表する、いや、世界的なデザイナーが来る。『すごい』の一言でした。

この続きは、また。