城丸正ブログ

『メール』より『対話』

2018.02.26

『お節介』や『世話を焼く』といった、上司や先輩が当たり前に存在した時代、何とか改革などということはなかった。

今、緊密な関わり方が薄い時代でもある。昔のように腹を割って話をすることさえ自然にできなくなっている。

実は、”おやじ文化”が少なからず人間関係の濃さを保ち、強みとして昔はあったのではないか。負の部分もあるから、この”おやじ文化”も段々なくなっていく近代化が進んだとも言える。

だが、正の部分は『対話』という情報の共有だったりする面も少なからずあったと思う。メールが当たり前になったことも、人間関係の近代化が進んだのかもしれない。

私メールやれない人間なんで、超が付くほど嫌がられるでしょうけど、でも『対話』と『メール』では質が違う。しかも知恵の源泉となるのは、あいまいな話や情報を伝えてくれる人間の出会いから、不正確なことから読み取る能力は、『メール』では無理だと思う。技術や知恵の伝承は『対話』が不可欠だ。

そのために大切なことは『相談』…わからないことを聞くという当たり前のことがなくなっていく。しかも誰に何を聞いたらいいか、という昔ながらの当たり前のことすらできなくなっている。要は、相手の人間性までわからないまま、又『メール』を送る。そして『メール』に向かう、24時間人を見ずスマホを見続け、最終的に人間観察ができなくなっている。本当に人が人と一緒に失敗し、一緒に目的に向かって努力する。そして相手の話しに耳だけでなく、心の耳を傾ける。

人は放っておいても自然に育つような時代じゃないからこそ、『対話』や『相談』が今まで以上に大事だと思うけど、年を取りすぎたかなぁ~。