城丸正ブログ

『きびしい時の希望の光』

2019.02.17

昨日、21歳の男性が我々の仕事に興味があるので話を聞きたいと会いに来た。

久しぶりに、今、一生懸命働いているアラフォーの社員達の20年前の彼等に再会したように感じた。

それくらい今どきの若者とはだいぶ違うと思った。

人は育った環境で、価値観や考え方ができていく。

今、どんなに小さい会社でも、創業何年とか、従業員数が何人とか、資本金・年商がいくら、強みは、将来性はこうだ、とアピールする。根底には若い人に飛び込んできて欲しいと思っている。

上には上が沢山あることは承知している。下には下はほとんどいない小さな会社が9割以上を占めているのが現実だ。

小さくても大きくても、会社が今あるのは、簡単に今の状態になったのではない。長い時間、失敗を繰り返しながら、どん底を何度も味わい、もうだめだと何万回も経験する。それでも、一緒について来てくれた従業員という仲間が支えてくれたから、今もこうして存在しているという、一番大切なことを理解してもらえたらありがたいし、幸せだ。

もう一つ、みんなが働きだす前にやる仕事がある。その仕事は、みんなが働きだす頃にも何もなかったかのように整っている。

我々の仕事では、家具産地からの大型トラックの荷受けが、朝7時くらいにある。

今、冬だから、雪かきの仕事がある、掃除もある、早朝の配達もある、夕方から夜の配達もある。そういう仕事をきちんとやる人が社会の要所・要所にいる。これら全てを少人数の会社はやらなければならない。

世の中を見ても、人の嫌がる仕事を、あえてやる人がいる。でなければ世の中は回って行かない。

現実は、若い人は、あるいは普通は、こういった仕事に対する敬意が足りないし、自分はしたくないと言う。仕事には自分の成功を求めて生きる生き方と、周りの人にささやかではあるが、贈り物をする生き方がある。この両方が必要だし、この両方がないと社会は成り立たない。

どんな大企業でも、どんな部署でも、この両方がある。だからどの世界に飛び込んで行っても、無くてはならない存在を意識しているかどうかで、大きく変わっていく気がする。

ある人が、学歴が通用する時代ではなく、選択の時代とも言っている。

学びは死ぬまで続くからさ。