興味深い記事があった。
我々はスーパーで食料品を買う時、「安さ」を決め手に買い物をすることが多い。その結果生産現場に苦しみを与えていることをわざわざ意識することはない。
その第一次産業(農業や漁業など)では生活が苦しいと言って携わる人がどんどん減っている。要は、食べ物をつくる人が食べていけないというおかしなことになっている。
食のグローバル化が進む中、安値を強いられる生産者が十分な利益を得られない状態が長く続いてきた。生活者にとって食料品が「安い」のは喜ばしいことだろうが、生産者が減っていけばやがてどうなるかは想像に難くない。
昨今、野菜の高騰が家計を圧迫しているという報道も多い。だが、家計消費に占める生鮮野菜の割合は2%前後で推移しているそうだ。たったの2%だ。スマホの月額料金に比べたらどってことはない。さらに、生産者の苦しい状況は報じられることは少ない。だったら、もっと生産者、生産プロセスを伝えることで、食べ物の価値を今一度生活者に考えてもらう必要がある。
食料をつくる人がいなくなれば生活者は生きていけない。生産者は食料を買ってくれる人がいなくなれば生活していけない。お互いさまの関係だという。
「安い日本」もどうなんだろう。賃金を上げるのが先だというけど、適正な価格での商売により積み上げた利益を賃上げにつなげるのもある。どっちが先かはわからない。
これだけは言える。「安さ」は大量に作ることが大前提で、さらに大量に売る必要があるということだ。これから先人口が減っていく時代にその方法はいつまで続くのだろうか。
「安さ」の追及は限界にきているのでは。
しかも、「安さ」を武器に巨大になった企業が生活者の味方をしているような空気は少し変えていかなければならないと思う。
負け犬の遠吠えの様かもしれないが、なんとなく複雑な気持ちで生きています。