城丸正ブログ

「働く」は「労働」とは違う

2024.02.06

最近、ある調査会社からの倒産速報ファックスが多くなってきた。

あらゆる分野で厳しさを感じる。倒産会社のほとんどが中小零細。原材料の高騰、円安、人手不足、売上低迷が主な原因だと言われている。

それなのに日本はアメリカ、中国、ドイツに次いで世界第4位の経済大国である。甚だ驚かされる。

そんな中、日経新聞におもしろい特集を見つけた。それは「ワクワク働いていますか」というタイトル。職場エンゲージメントが強い社員の割合が日本では5%、OECD加盟国平均20%を大きく下回るというギャラップの調査についてのものだ。

エンゲージメント(職場への愛着というニュアンス)がないことが問題ならば、どうやって熱とか愛を感じさせるか。とても難しい。あっ、そうか、働き方改革が叫ばれたんだった。

週休2日から3日にとか、パワハラ・セクハラを禁止して賃金を上げれば熱意と愛着が湧くだろうと、有識者が称えたんだったと思う。

バカにされた感じがするのは俺だけか。有識者の見解は2種類の人間がいることを無視している。要するに、「仕事」=「労働」と考える人間がいることと、「仕事」=「働く」と考える人間がいることだ。

「働く」ということには様々な理由がある。人の役に立ちたい、人に喜んでもらいたい、あえて人がいやがる仕事をしたい、などなどお金だけの問題ではないこともある。

「労働」=「自主的ではなく、搾取の対象物」というイメージがつきすぎて、「働く」ことによる達成感や充実感といったものは無視されがちだ。

「ワクワク働いている」という実例がS.H.S長岡であった。それは今年で5年目を迎える男性社員の友達が一人、また一人と入社してきた。彼らの入社理由は、その男性社員がおもしろそうに仕事の話をしてくれたからだそうだ。まさにこれなんだよ。

また、一度退社して何年か後に再入社した社員もいる。その気持ちは何だろう。人を好きになるのも仕事を好きになるのもベースは同じではないか。

全部自分で決めていることであり、「思ったのと違った」と感じてからが本当のスタート。「ワクワクする」ことは自分で見つけなければならない。

そして人はそんなに器用ではない。不器用だからこそ愛されることもある。

最後はひろって、もらって、かりることでチームができていく。なくてはならない存在になることが本当の幸せであり喜びなんじゃないか。