鳥屋野店の駐車場を挟んだ奥の方に昭和40年代に建てられた倉庫がある。その倉庫の2階の片隅に自分の部屋がある。広さは25㎡ぐらい。内装は自分で直し、ペンキを塗り、照明、デスク、ソファ、チェスト、シェルフほとんどがアメリカのユーズド家具でセットしたのが今から20年ぐらい前だったと思う。
決して整理された空間ではないが、一番居心地が良い。捨てられない本が山ほどあって、それが一番の宝物かもしれない。
苦しい時、嬉しい時、なんとなく気になることを書いたノートが何十冊もあったので、年も取ってきたし少しづつ整理しなければと思いながらも中々進まない。「ま、急ぐこともないか」だ。
ノートの山の中から気になった一冊が出てきて読んでみたら、古町商店街に店を開いてすぐだったんだろう。「日本の古道具はもういい、うんざりだ。これからはアメリカだろう。じゃあどうする」という記述があった。
金がないから、車でアメリカに行ける方法はないか。日本の中のアメリカはどこだ。「そうだ、米軍基地しかない」そう思って最初に行ったのが北は青森の三沢基地、南は岩国だった。
どんなに遠くてもそこに行くしかなかった。その当時、こんなバカな考えで動く奴は俺ぐらいだろうなんて考えながら生きていた。
北のはずれの不便な場所。誰も行かない不便な場所だからこそ、そこにしかないものに出会う。そして、そこにしかいない人にも出会う。この人との出会いは、その後の商売に大きな影響を及ぼした。
「リノベ」や「リユース」は今では当たり前だが、40年以上前それほど意識されていなかったと思う。米軍の払い下げ品を直して売る、自分としては当たり前で「流行とか、今ってこうだよね」なんてどうでもいいことで、単純に面白かっただけ。簡単に手に入らなかったから意味がある気がした。
だって、やっと手に入ったとか、やっとこの人に出会えたとかが特別なことになる。
今は便利で簡単、安くて早いが普通になったから、あえて回り道したり不便なことを避けようとする。でも、この回り道や不便なことをクリアしたときに思いもよらない体験をして新たに気付くこともある。これが人とは少し違う「カタチ」を生むことになる。鳥屋野潟の古い倉庫をリノベして店を作ったり、人に力を借りて今までの商店街とは違う創造施設を提案したり、長岡の高畑の古い割烹旅館をリノベしてみたりすることで全部つながっていく。
最初、皆さんは「あんな場所で人が来るの?」「あんな場所で商売になるの?」の連呼だった。普通はそんなもんなんです。
なにげないさりげないノートの一行から何かが始まることもあるということです。
今日が今期の最終日。良くも悪くも今日で終わり。明日から新しい期が始まります。
口癖ですが、「死んだ気になって生きていけ。死なないからよ。」パワハラではなく、頑張っていこうぜということです。