城丸正ブログ

ひろう、もらう、かりるについて

2012.02.05

リサイクルショップを始めた時から現在もこのモットーは変わりありません。スタートは粗大ゴミの中から何かをひろう。人からいらなくなったものをもらう。買えない物は持っている人からかりる。

じゃあ今は、
「ひろう」は、発見する。目に見えない事を見つめなおす。人が気づかないことに意味を見いだす。
「もらう」は、発見したことを、目に見えない事を、自分のものとして血とし、肉とする。ようは、自分の心の中にもつ。
「かりる」は、お願いしてみる。頭を下げて、正直に、自分の気持ちを伝える。そして知恵をかりる。場所をかりる。力をかりる。そしてお金をかりる。

ですから食事の時の、いただきます。ご馳走様でした。おいしかった。もっと頑張ります。みたいなことだと思うのです。「ひろう、もらう、かりる」は、私の考えや、行動の基本なんです。そして勇気をもって誰よりも早く人と違ったことをやるこも基本なんです。私は未熟ですから失敗ばっかりです。失敗の連続。思うようにいかない。悩む苦しむ、そんな中から、そうだ世の中の流れに逆らってみることが大事かなって考えているんです。流れに流されない。少し疑ってかかる。

最近読んだ本で書店で山積みになっていたジェームス・スキナーの“略奪大国”とか、京大の人気教授の瀧本哲史の“僕は君たちに武器を配りたい”とか五木寛之の“下山の思想”を読んでみて、考えさせられることがたくさんありましたしおもしろかった。“ルフィの仲間力”安田雪著も非常に参考になったりします。まっ、本を書く人って頭いいわけですから私とは違うんですけど、なぜこの内容を今書いたんだろうって考えるんです。特に“ルフィの仲間力”という本のなかで「周りの人たちがあなたの味方に次々に変わる、ワンピース流仲間の作り方。絆を深めるには」ということなんですけど、現実これが一番難しいことなんだろうと思っちゃうわけです。メル友とかフェイスブックとかブログとか、顔も見たことのない、会って話をしたこともない遠くの人とつながって友達になった様な気がすることが普通になってしまい、質ではなく量でとらえてみたり、たくさん友達がいる私、みたいな錯覚を持つ人が多い。ルフィの仲間力はいい人ぶらない、思っていることをぶつけあい泣いたり笑ったり、喧嘩したり怒ったりと本音で接し本音でつきあっていく。良いも悪いもひっくるめて友達でなく仲間として一つの仕事をやりぬく考え方、どうでしょう。難しいかな?