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S.H.S NAGAOKA BLOG

陶器作家「陶 岡﨑」岡﨑さんをたずねて 益子編

2024.01.06

2021年に陶器作家の岡﨑さんのアトリエに伺ってお話を聞いたときの記事を再掲載します。

 

現在売り場の商品は年末に入れ替えて頂き、新しい商品もたくさんありますのでぜひお店に足を運んで頂き、実際にご覧ください。

 

 

 

長岡店で3年前からお取り扱いをさせていただいている陶器作家「陶 岡﨑」の岡﨑さん。

現在岡﨑さんは市内にアトリエを持ち、イベントやギャラリーでもその作品を見ることができます。シンプルで使いやすい作品はギフトで購入される方も多く、たくさんのお客様に喜ばれています。今回はその陶芸のルーツともいえる益子で修行して独立するまでを伺ってきました。

 

 

 

★もともと渋谷のパルコで働いていたんですよね。

「そこは学生時代のアルバイトで。つかもとの直営店なんです。(※「つかもと」は益子で一番大きな陶器メーカーで駅弁「峠の釜めし」の容器を作っています。)つかもとのお店は渋谷に3店舗あったんですよ。建築士になろうと思って向うの学校に行ってたんです。今から35年くらい前です。」

★それが縁で益子に?

「専門学校卒業してアルバイトをしてたらその専門学校の先生がやめてもいいからって仕事紹介してくれたんです。そのころ仕事は山のようにあった時代ですから。百貨店のウインドウ変える仕事とか、催事場のブースを作る仕事をしていました。そうこうしているうちにアルバイトをしていたつかもとのお店がまたスタッフ募集してたんですよ。一回やめたけどまた働かせてもらえないかなって。そしたらその時の店長が、実はここ退店するからそれまでの何か月間だけどいいの?って。その後につかもとの東京の事務所に社員になるかって言われて。都内のつかもとの直営店に配達したり、民芸店に注文取ったり営業の仕事をしていました。ただ長男だから地元に帰らなきゃいけないっていうのはあって。このまま営業マンしてても帰ったら何もないなと。作る方を覚えれば、手に職があればどこへ行ってもって思ったし、学生のころから勉強はできなかったけど何か作るのは好きで。それで益子の工場へ異動願いを出したんだけど、今の仕事続けろって会社に言われて。でもことあるごとに益子へ、益子へ・・・・言ってたら2年後くらいにそんなに言うならと。ただ条件があって最初の1年は益子の本店でまず営業関係の仕事をしてから。工場の方にはいつになるかわからないけど行けるようにはするからって。それで一年半くらいは営業をしてました。」

★それはおいくつくらいの時ですか?

「24歳か、25歳くらいかな。」

 

 

 

 

★そのあと工場に異動されて、一から習得されるんですよね。販売用の焼きもの製作を習うということですか?師匠みたいな方はいらっしゃるんですか?

「つかもとには研修制度みたいなものがあって。焼き物をやりたい人のために自由に使える時間があったんですよ。」

★いわゆる地元の伝統工芸品の後継者や、やりたい方を育てつつということですね。工場にはどれくらいいらっしゃったんですか。

「工場勤務の前に益子の本社の近くに支店があって、そこの店長を約2年くらいやって、工場には10年位いました。」

★工場に10年いらっしゃったということはご自身で器をかなり作れるレベルなんですか。

「それが、、、ショップの店長だけど役職が主任だったんです。主任のまま工場に行ったのでどちらかというと工場の管理の仕事なんですよ。」

★岡﨑さんが思っている土を触るというところまではまだたどりついていないんですね?

「夜は土を自由にいじれたのでろくろが空いていれば作れました。ただ焼くのはダメだったから作っても形に残せない。でも主任という立場なので窯入れのスケジュールとかわかるわけですよ。窯に詰める専門の人がいるんですけど頼んで入れてもらったり。仕事に支障ない程度に。」

★工場にいらっしゃった時は少ないですが勤務時間外で器を作れる環境にいらっしゃったんですね。その後、つかもとをやめてからはどうされたんですか。

「ゆみ陶っていうところに4年いました。そこは個人の作家の先生でゼロから誰でもOK。ただ最初はねんどをこねるだけ。朝から晩まで。」

★なるほど。そちらは、親方の個性がかなりでるようなところですか?

「親方が全部デザインしてました。すごい数の注文がきて仕事は山のようにありました。私は特別にろくろ師ということで入ったんです。分業だからろくろ回す人はろくろしかやらない。朝から晩までろくろ。そこからステップアップしていく。」

★そちらでろくろの技術を習得されたんですね。ゆみ陶さんのあとはどちらに?

「和田窯という刷毛目が主流の工房でした。ここでもろくろ師として入ったんです。」

 

 

 

★その後に陶芸作家になるという覚悟でに長岡に戻って来られたんですよね。

「ゆみ陶の親方が理解のある人で。あちこちのギャラリーと展示契約しているんですけど、そこでプレデビューみたいなことをさせてもらっていました。2年目3年目になると自分でやりたくなってだいたい3年で独立する人が多いんです。」

★そうすると、ゆみ陶さんにいらっしゃる時から岡崎さんもギャラリー展示を何回かされていらっしゃったんですか?

「ええ。その時に東京から買い物に来たお客様と今でもお付き合いあるお客様がいますよ。」

 

 

 

★つかもとの大きい工場から、より専門的な技術を習得すべく様々な窯元で修業されて、益子で陶芸家として食べていかれる道はあったと思うんですけど、長岡に戻ってこられた時にそういう場があるという保障はないですよね。

「ない。ないけど戻らなくちゃいけない。」

★それって結構な覚悟ではないですか?

「だだそういった保障や前例がないところだからこそもしかしたら・・・という思いはありました。調べれば何人か陶芸家がいるんだっていうのわかってたんで。やっぱりできるんだなって。材料の調達だって益子からできるし。ただあまり直接は売らない。やっぱりお店とのお付き合いで売っていく。作り手は作るだけ。売るのはお店。お店で売ってもらって無くなって注文もらってっていうのでないとお店も儲からないしお店が儲からないと注文が入らない。最後まで自分で売り切って生活が出来るかっていうとやっぱりできないって思ってたんで。長岡でクラフトフェアやるから実行委員のメンバーに入れよって知り合いから声がかかったんですけど私の気持ちは反対だったんですよね。作者が売るって。たしかに買う人は作っている人が売るっていう安心感はあると思いますけど。」

★お店に置いてこそという考えは岡崎さん自身がお店にいらっしゃったからではないですか。

「やっぱりそうでしょうね。みんな直接売りたいって思うんでしょうけど。直接売れば儲けは100%だから。ネットとかで皆さん売ってますけど焼物って破損がつきものですし、画像だと色合いが実物と違う。ラッピングもお店でやってもらったほうが良いだろうし。」

★お客様は、お店が取り扱いをしていないと作家さんの作品に触れる機会はなかなかないと思います。自分が好きなお店が取り扱っている作家さんの作品だからこそ買いやすいと思います。

「結局は作る方に専念したい。例えばここに直接お客様が来ることが増えてくると何となくこう、着てるものとかちょっとカッコつけたりするわけじゃないですか(笑)。そんなことにエネルギー使いたくないなあと。」

 

 

 

★さすがです。器作りに集中される作家魂ですね。話が戻るんですけど、陶芸家が少ない長岡でも独立して器を作り続けていらっしゃることは私達SHSの考え方と似ている部分があります。

「やっぱり中身が大事だと思います。どんなにおいしいラーメンでもアクセスが悪かったら行かないって人も当然いますけど、山奥の蕎麦屋に大行列ができたりするお店って何がって言ったら、おいしいのは当たり前でそこに行くまでの道のりとか、店主の話や、打ってる姿だったり、ひっくるめてそれがごちそうみたいなところってあるじゃないですか。お店雰囲気やのスタッフの対応がその魅力を増す。遠くまで出かけていくっていうのが逆に重要なプロセスっていうのはあるかもしれないですよね。」

 

★★★

今回はここまでです。次回は長岡に戻って来られてからのお話をお伺いします。