城丸正ブログ

地方創生なんて無理

2015.11.01

地方は今まで都会の真似をして経済的な豊かさを得ようと頑張ってきた。子供の頃自分の住んでいる商店街に何とか銀座などと銀座の名前を付けている通りを見たものです。しかし、真似である以上、いつまでたっても都会にはならない。そうこうしているうちに、ダイエーとかジャスコとか大型スーパーが進出し都会の百貨店ができ、今では巨大なモールと呼ばれる商業施設がいくつもできてしまった。その結果、ひとつのモールが地方の商店街10か所以上をまるのみにしてしまい、商店街はシャッター通りになって閉古鳥が鳴いている。消費者は待ってましたとモールへ出かけ買物し、ごっそり売上というお金を地方から吸い上げられ県外へ持って行かれるという実感を感じないまま、楽しかった、安かった、得した、おもしろかった、また来ようねの繰り返し。このモールがあっちにもこっちにもできた訳です。これが現実でもう戻れない田舎の都会です。逆に何にもない“いなか”というのも個性だったし大切な事だったかもしれない。もう一度今あるものに目を向ければ、まだまだそこにしかない個性的な文化はあると思う。港町新潟というスローガンを掲げたりはしているが、地方の人はそんな意識はないと思う。神戸や横浜は長い歴史の中で育んできたと同時に守ってきた結果、今日の港町の風情があり全国から人を引き付ける魅力がある。

戦後、都会も地方も経済発展、成長戦略、高い教育等々必死になって生きてきた。日本は先進国の仲間入りを果たした。しかし、バブル崩壊と共にこの20年で成長は止まってしまった。唯一伸びているのは大企業とIT関連という技術革新。しかもほんの一部の人だけがその恩恵を受けている。ある程度の豊かさを手に入れたらもういいじゃあないですか。これから先、もっともっとと欲張っても幸せにはならないし、いい加減みんな疲れているし。もっともっとと住宅ローン35年、いや50年も組んでしまっているし、地方創生をぶち上げているけれど人口はどんどん減って、いまさら工場の誘致だの第6次産業だのやったところでそこで働きたいと思う人がいるのだろうか。どれだけの効果があるのだろうか。

バブル前、地方を捨てて都会を目指し、都会に憧れ出て行ったからこそ「ふるさと」は遠くにありて思うものになった。今さら人口が減ったからといってなんとかしなければならないと云ったところで、具体的な手段や効果はないはずです。さらに地方に良かれと思ってたくさんの専門学校や大学をつくり、地域の企業に優秀な学生を提供しよう、貢献し人財の育成を目指しているが、どんどん定員割れを起こし学校経営も厳しいと聞くと、当初の理想から逆の方向へと進み始めているように思う。極端な話ですが、大型ショッピングモールもいらない、全国チェーンの安売りショップもいらない。大学は新潟大学だけでいい、何にもないことがかえって創生につながるかも。そして地方の中小の店で買い物し地方にお金を落とし、小さな会社に就職し、長く長くそこで働かせてもらってささやかな家庭をつくり子供を育て、スマホを捨て目の前にあるものにもっと注意をすることこそが豊かで幸せな生活なんだなあと気づくときである。店と生活者、地元の産業と働き手、もっともっとという欲望を捨てて我慢するという暮らしを考える時代ではないだろうか。成長戦略だとかグローバルだとかに踊ることなく生きるのもありかも。

若者たちよ、大学や専門学校で何を学んできたのか。何度も云うが成長とか拡大とか経済の発展など、とうの昔に終わっている。消費税がどんどん上がっている。さらに上がっていくこともその理由は、はっきりとしている。学生達が魅力的に見える会社ってどんな会社、私はどんな会社をつくれば魅力的なのかわからない。“ふるさと”は遠くにありて思うものでなく、どうせ成長拡大しないなら、今あるものに目を向けて手を入れて、自分たちの町は自分たちの手でなんとかしようと立ち上がる時がきている。行政や補助金などあてにせず、失敗を恐れず100年かけて勝負しようじゃないか。それが若さでしょう。地元で働くことを第一に考える。そして学校はシュガーな話でなく、いなかだけど日本一強い若者を地元会社に送り出す使命があるはずです。私たち中小企業も目先のことだけでなく、100年かけて勝負する意思を持って今まで以上の覚悟をもって取り組まなければならない。これが真の産学協同という取り組みだと思います。これから100年かけて地方をつくる。半径150マイルの商圏をイメージしてそこにしかないたった1つの存在、これを目指す。ものすごく長くなりました。失礼。