20代の頃、野坂昭如、寺山修司、唐十郎、この3人は私が大きな影響を受けた人たちです。特に野坂昭如の思想と行動はかっこいいと思ったことが何度もあり、自分の心の中にも不条理な事、権力に対し抵抗する暴力的な傾向があることを自覚する時期でした。一種の現実逃避、現実否定。今なら暴力オタク。一匹狼なんて言うとダサいと云われそうですが、正直その当時は憧れる生き方だったかも知れません。一線を超えなかったのは父がおまわりだたからです。そんな自分ですから大学を卒業しても職を転々とする生き方、直属の上司を見ると、なんだかかっこ悪い人間だなぁ、こんな人間になりたくない気持ちがすぐ強くなってやめてしまう。野坂や寺山、唐のような上司なんているわけないんですからね。30代になって、自分はサラリーマンに向いていないと思いこみ、リサイクルショップを自営し始める。
今、日経新聞に倉本聰の私の履歴書が掲載されています。いよいよ「北の国から」が始まると思います。主人公の五郎とリサイクルショップの私の姿が1980年代重なる訳です。野坂昭如から倉本聰へ心が動いていく時期でした。本当の辛さ、悲しみ、嬉しさ、挫折、そして希望。今の私が仕事を続けてこれたのは、スタートのリサイクルショップ、米軍基地、倉本聰の「北の国から」、これがあったからです。寺山修司は青森県の三沢市出身。三沢市には米軍の三沢基地。そこはもうアメリカでした。私、勝手に寺山修司、三沢基地、城丸正、海を渡れば北海道。そこは富良野・北の国からの五郎、倉本聰、全部つなげていました。ばかでしょう。