2004年10月23日、午後5時56分、あれから20年、我々の長岡店は要町の交差点の古い倉庫を改装して営業していた。地震発生時、自分は鳥屋野店にいたのですぐに長岡へ車を走らせた。
電話もつながらず、スタッフの身に何かあったかも確認できず、不安が頂点に達していた。やっと店に着いたが、スタッフは避難しており、誰も店にいなかった。店の中はひどかった。
スタッフが近くの学校にいることがわかって会いに行き、無事で「ホッ」とした。店内はどうしようもなかったが、それでも1日でも早く営業しようと思い、4日ぐらいでオープンした記憶がある。ありがたかったのは、取引先のメーカーの営業マンが個人的に応援に来てくれたこと、涙が止まらなかった。正直、この時、もう無理だな、長岡から撤退しようかとも思った。
でも、働いている社員もいるし、10年以上すべったりころんだりしてやってきたわけだから、もう一度最後の挑戦するのも・・・・どうせ潰れるなら誰もが考えられない場所でやるのもありだと、そんな流れから今の高畑の割烹旅館に出会い、ここに決めた。
この旅館は中越地震でとどめを刺され、休業そして廃業状態に陥り、競売にかかっていた。これを所有して、死んでもいい覚悟で、それこそ復興させ、ものすごい時間とお金をかけて今に至る。
もう、あっという間に17年になろうとしている。宿泊と売店、そしてレストラン、さらにウェディング、長岡に来たら必ず寄ってみたくなる場所の一つになることを夢みて、「時と場」の提案に挑戦し続けている。
あの中越地震は、その後のそこで生きる人の覚悟を試していたのではないか。
それは、すべての業種だ。