内閣府が3月に公表した世論調査で、この40~50年で大きく変わった事があるという記事。
その内容は、「国民全体と個人の利益では、どちらが大切ですか」という質問に対して、61%の人が「国民全体」と回答。さらに「国や社会か個人か」に対しても、58%の人が「国や社会」と回答。
過去最高の数字だったそうだ。理由としては、ロシアのウクライナ侵攻や北朝鮮のミサイル発射の多さや中国の脅威だったりするのだろう。
不安定な時代になると、なんとなく国家は与えられるものではなく、自分達が作るものであり守るものというふうに変わってくる。
さらに、円が1ドル150円の円安になって、改めて安い日本であり、当然給料は上がらない国になったんだと気付く。さらに、安さを求めて行動してしまう。日本が「経済大国」なんて呼ばれたのは遠い昔の話。改めて、「国」を守ることと「会社」を守るにはどうするか、意識としては共通していることもあるように思う。経済はお金、その経済をまわすのは会社であり、目の前にある仕事、これをどう守るか、そして攻めるか。
それとも、権利である有給を消化して政治家さんたちがつくったルールに従って生きていけば誰かがきっと守ってくれる。「本当に、そう思っている」そんなことはないと気付いている。
「アメリカ」も最後は自分のことが最優先だろうし、それが普通なんだということ。変わらないことは、「自分の身は自分で守る」これに尽きる。
「個人よりも国」時と場合によっては「個人よりも会社」ということもある。そこには働く仲間がいる。働く社員の3~4倍の人数の家族がかかわっている。だから、「会社」や「店」はある意味「国」という存在と共通するところもあると思っている。だって、日本の会社の99%が中小零細企業。そこがなくなったり減ったりしたら、日本という国もなくなってしまう。
もういい加減、働き方改革も大きく変わっていくだろう。だって、40~50年前は「24時間働けますか?」なんてCMが流れていた。当時は高度経済成長期。今は「休め、休め」そして賃金は上げよう、値段は下げよう、そして経済は成長させようという、スッチャカメッチャカ。これが今の「普通」。おかしいと思う人もいると思う。働きたい人は時間とか寝食を忘れて働けばいい。そうじゃない人はそれなりの道を行けばいい。あっという間に時間は過ぎていくし、常識や普通が変化していく。もう経済大国を目指す必要はないが、安い物を買ってそれなりに生きていく道もある。
でもさ、「若さ」って、もっとさぁ、ドン欲であってもいいんじゃないの。死んだ気になって働けば死なないからさと言われたことが、ずーっと残っている。これも自分の普通なんだけど、実はまだまだ上には上がいるんだよね。あこがれる人に何人出会えるかでも、その後の生き方が変わっていく。
我々は、1970年代火炎瓶闘争世代で、権力を持った政治家たちに対し、常に「冗談じゃない」という意識がある。「冗談じゃないよ」はエネルギーになる。それは今も変わらない。
きっと、死ぬまで変わらない。そして、浮いていく。