商品には、値段が安いもの、高いものがある。特に最近は、円安でほとんどの商品が値上げせざるを得ない状況だ。
これは、人とお金がかかわり、価値観や文化もかかわっている。なぜそれを作るのか、その先には必ず人がいる。作る人、売る人、買う人がいるから経済が回る。
いいものを安く作って売ることで、ファンを増やし大成功した人もいる。人は使っていると飽きることも多い。その時、誰もが考える、「これは安かったか、高かったか」と。
そして安かったらどうだろう?高かったらどうだろう?「捨てちゃえ」なのか「もったいない」なのか、値段の問題じゃない。気に入ったからずーっと使う、直してでも使い続けようとするのか、これは「倫理」の問題ではなく「心理」だと思う。
今まで、サステナブル(持続可能)なんて意識して生活はしてこなかった。そもそも、何を持続させたいのか。人は必ず死ぬ。生きることを持続させることは不可能だ。
人間の欲望が持続不可能にしたことも理解しているが、欲望が経済を回しているのも確かだし、なかなか厄介だ。
ある老舗の社長が、「安いものには訳がある。高いものには物語がある。」と言っていた。「物語」は道なんだろう。苦しみや喜び、憎しみといった「深み」も感じる。「訳(わけ)」や「理由」は言い訳に聞こえてしまう。どっか昔のCMにあったように、「永く愛して、深く愛して」という捉え方が大切なのかもしれない。
人にも物にも仕事にも、自分に関わる全てのものに対し、こんな気持ちで生きていけたら、少しは今より持続する可能性が生まれるのでは。
あえてサステナブルと言わなくてもいい。日本語で、「永く愛して、深く愛する」物事を見つめてみよう。
すると、選択が変わるだろう。